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イーストメルボルントップ

イーストバーン テラス Eastbourne Terrace

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2014年5月3日(土)
イーストバーン テラス
Eastbourne Terrace
イーストメルボルン
East Melbourne
メルボルン Melbourne
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フリンダース通りを東へ向かうとフィッツロイ公園のあたりからウェリントンパレードと名を変える。更に東へ進むとMCG、ヒルトンホテルを越えた当たりに、優雅なイーストバーンテラスがある。


撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 6.3 1/1600秒 ISO感度200 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2014年1月15日 15:49


  イーストバーン テラス
Eastbourne Terrace
住所:62 Wellington Parade
EAST MELBOURNE
建築:1900−1903年
建築目的:住居
現在の用途:住居
建築器:エドワーディアン
建築様式:アールヌーボー
建築家:ロバートハドン Robert Haddon

Walking Melbourne

ロバートハドン Robert Haddonの作品

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 ロバートハドン(Robert Joseph Haddon)は、1866年にロンドンで生まれた。ロンドンで建築家として修業したのちに、1889年にメルボルンに移民してきた。建築会社Sydney Smith & Ogg社に入社し、その後、ビクトリア州建築家芸術家協会(Victorian Architectural and Engineering Association and the Victorian Artists' Society.)に加盟した。
ハドンは、1892年にタスマニア州ホバートへ移転し州立建築学校の建築デザイン主任に就任しいくつかの建築物をデザインしている。その後、南豪州アデレードへ移転し1896年にAda Templerと結婚。ハドン夫妻は、西豪州パースへ移転し、州公共建築局のデザイン主任を2年間務めている。その間、西豪州芸術家協会の事務局長も務めた。ハドンは同時期に南豪州建築協会のメンバーも務め、また1896年にはロイヤルビクトリア建築協会の名誉会員でもあった。その後、メルボルンに帰任し、ハドン自身の建築事務所を1901年に設立している。


 1904年に中央デザイン事務所と呼ばれる建築事務所を開設し、自身をコンサルタント建築家と呼んでいた。他の建築家とコラボして建築を進める独特の先進的な建築家を目指した。メルボルンの G. B. Leith やSydney Smith & Ogg社,ジーロンの Laird and Barlow、CamperdownのMichael McCabe などとコラボした作品を残している。
1902年にメルボルン労働者大学(Working Men's College、現RMIT大学)の建築学部部長教授となった。ハドンの教室ではPercy Oakley, A. C. Leith, E. M. Nicholls and Eric Hughesなど多くの著名な建築家が育ち、ハドンの事務所でも活躍した。
William Alexanderがハドンの事務所に参加し、1919年には共同経営者となり、Haddon & Henderson事務所となった。

 ハドンは事務所、住居、教会など幅広い建物をデザインしている。

ハドンの3つの長老派教会
Malvern (1906)
St Stephen's, Caulfield (1926)
St Andrew's, Oakleigh (1928)

ハドンは1907年に英国ロイヤル建築家協会の名誉会員になった。

ハドンは、コーフィールドの自宅で1929年に死去しボックスヒルの長老派教会墓地に眠っている。

イーストバーンは現在はホテルとなっている。
Eastbourne Suite

ロバートハドン 豪州伝記集

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