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プラーンタウンホール Prahran Town Hall

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メルボルンのタウンホール

Crouch & Wilson

建築史1860‐69


2018年12月2日(日)
プラーンタウンホール
Prahran Town Hall
サンドリンガム線
プラーン Prahran
メルボルン Melbourne
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プラーンタウンホール複合ビルはチャペル通りとグレビル通りの角地に何年もかけて数段階に分けて建設された。最初の市議会は、プラーンが市と認められた翌年の1856年に選出された。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/800 F6.3 ISO感度 100 オート 露出補正-2/3 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2018年1月19日9:31 板屋雅博撮影


最初の市議会はメカニック学校で開かれた。裁判所と刑務所を建設する為に現在の場所で T. B. Payneが所有する土地を1856年に購入して、翌年に建設された。立地場所に多くの不満が上がり、タウンホール(Crouch and Wilson)の建設地はチャペル通りの裁判所の隣に決定した。1860年にクロウチ&ウィルソン()のデザインがタウンホール、市議会議事堂、図書館、などの建築物群に採用された。礎石が1860年10月31日におかれた。1862年に建築入札が行われ、タワーに時計を埋め込む改造が加えられた。レンガ建築に表面化粧が加えられた、共に翌年完成した。

 1869年に裁判所ビルが取り壊された。タウンホールの裏手に再建され、グレビル通り側に入り口が設置された。この為、1878年にタウンホールの北側に追加して建物を建築することが出来、クロウチ&ウィルソンが設計を担当した。チャペル通り側に入り口が作られ郵便局、電信局が入居した。裏側には警察本部にあり、公共図書館、郵便局長と図書館員の宿舎があった。
1885年にグラベル通りに沿って西側の土地を新しい裁判所と警察署用地として購入した。裁判所と警察本部は、市議会議事堂と市役所として使用された。


 1869年建設の裁判所建物の後ろ側に1888年に新しいタウンホールのデザインが募集された。Charles D'Ebroのデザインが採用された。南側端に1200名収容のホール、北側に入り口と控えの間が配置されていた。タワーの延長部分も含まれていた。市長の休息室、執事の宿舎、温室、エントランスロビーの上階には芸術学校教室、新しいタウンホールのロビーエントランスなどもあった。1914年にタウンホールは火事で損傷を受けた。


  Sydney Smith and Ogg事務所の設計で再建された。以前と同じ場所に建設された。1926年に電信局と郵便局長住居が移転し、空いた場所に市当局が使用した。1953年にタウンホールからバルコニーが撤去された。

VHD

Wikipedia

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