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建築物1850-1859年

サウスメルボルントップ

シンガポールコテージ Singapore cottage

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2015年9月5日(土)
シンガポールコテージ
Singapore cottages
コベントリー通り17番地
17 Coventry Place
サウスメルボルン South Melbourne
メルボルン Melbourne
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サウスメルボルンに保存されているシンガポールコテージはゴールドラッシュ期に移民が大量に押し寄せた時期に輸入建築されたマレー半島製のプレハブ住宅で、オーストラリアで現存する唯一のものである。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 絞り11.0 シャッター速度 1/200秒 ISO感度 200 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2014年1月12日17:15


シンガポールコテージは、ゴールドラッシュ時代にビクトリア植民地で流行した移動可能な(ポータブル)組み立て式いわゆるプレハブ建築物(prefabricated buildings)であり、海外からの輸入品である。1850年代のゴールドラッシュ期に大量の移民がメルボルンに押し寄せた為、本格的な建築物の建築が困難であった為である。押し寄せた移民はサウスメルボルン地区やセントキルダ通り沿いにテントハウスを建てて住んだが、次の段階で建築が容易な簡易住宅が大量に必要とされた。
いろんなタイプのプレハブ建築があったが、主に東南アジアのマレー地区で南洋材を使ってマレー人の大工職人が制作して、シンガポールの中国人商人(トレーダー)がメルボルンに輸入したものである。メルボルンのゴールドラッシュ期のメルボルンに特有の建築物で1853年頃から始まっている。



  この地区コベントリー通り17番地界隈はエメラルドヒル(サウスメルボルン)の第4ブロックの一部で、政府の土地販売(クラウンランドセールス)が1852年から実施行された。
この土地分割販売は、メルボルン建物法律の規制外として格安の住宅建設を可能にした。
多少大型のタイプのプレハブ住宅は主に英国からと一部はシンガポールからも輸入された。
1853年に少数の住宅が輸入され、1854年には660戸のプレハブ住宅が輸入された。コベントリープレイス通り17番地の住宅は、1854年建築で、史料によると4室のウェザーボードハウスで馬小屋付きと記されている。裏庭に物置小屋が1959年頃に設置されており、同年の役所文書によると5部屋で一部屋はトタン屋根を持つと記されている。



 この時期に数軒のシンガポールコテージがサウスメルボルン地区に建設されたが、コベントリー通り17番が唯一の現存住宅であり、最初からこの場所に建っていたと推測される。ビクトリア州には他に3軒のシンガポールコテージがあったが、近年、解体されている。

コベントリー通り17番は中央に廊下がある4部屋のコテージで6mx9m(54平米)の広さで背後に2部屋を持つ小屋が併設されている。主な構造体重い南洋材は現在でも使用可能な状態であるが、外面下部の板材や地下部分の材木などはかなり傷んでいる。


 屋根の部分の建具も大半は健全な状態であり、屋根を支える支柱、屋根下部のけた材、構造材部材の着色マークなどにマレー人の大工職人の特徴を良く表している。窓やドアなどは後年に作り替えられたもので建築当時のものは残っていない。南東側の部屋には初期の年代に設置された暖炉がある。



  1854年は日本は江戸末期であるが、プレハブ住宅がマレー半島で制作され、シンガポールの中国人トレーダーを経てメルボルンに大量に輸入されていた事実は驚きである。当時のメルボルン植民地政府がゴールドラッシュ期に押し寄せる移民への住宅供給の為に法律規制を弾力化するなどの対応策を取っていたことなども興味深い。
小さな木造住宅であるが貴重な歴史の証人である。

Prefabricated Cottage(Onmydoorstep)


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