シティ案内

今日の一枚へ

アルバートパーク

アルバートパーク鉄道駅 

メルボルン百景トップ

2014年7月6日(日)
アルバートパーク鉄道駅 
Albert Park Railway Station
アルバートパーク Albert Park
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

アルバートパーク鉄道駅は、現在は、96番トラム(ライトレール)の駅であるが、最初はオーストラリア第二の鉄道路線メルボルンーセントキルダ線の駅として建設された。現在も建設当時の姿を残している。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF5.6 1/1250秒 ISO感度 200 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM  2014年1月12日16:29 板屋雅博 撮影

アルバートパーク鉄道駅
Albert Park Railway Station Complex
住所:365 Ferrars Street And Ferrars Place South Melbourne
建設年:1888-1889
建材:多色レンガ
建築様式:イタリアン
線路を間にして西側の正門駅舎と東側の駅舎がある。

オーストラリア最初の鉄道路線は、1854年9月12日にフリンダース駅とポートメルボルンのステーションピアの間に開設された。
1850年のメルボルンの人口は3万人であったが、ビクトリア各地でゴールドラッシュが始まるとわずか数年で30万人の金目当ての移民がヨーロッパや中国から押し寄せた。この膨大な移民を受け入れる為に開設されたのが、レイルウェイピアであり、鉄道路線であった。

 1854年にビクトリア植民地の測量技官がサウスメルボルン(エメラルドヒル)の道路グリッドを定めた。道路グリッドは、1857年に改定されたが、中央に公園(セントビンセント公園)を置き、湾曲した道路を取り入れた。本国であるロンドンの中心部をモデルとした。1860年から1890年にかけてセントビンセント地区にはメルボルンの富裕層が住む地区となり、多くのファッショナブルな住宅が建設された。アルバートパーク地区はメルボルンの上流階級が住む場所となった。1860年にポートメルボルンからセントキルダへの路線がアルバートパーク地区を横切った。当初、駅名はバッツ駅(Butts station)と呼ばれた。Buttsは銃の用語。
この場所からポートメルボルンにかけて70エーカー(28ヘクタール)の軍部の射撃練習場があった。この軍の射撃練習場は1878年にウィリアムタウンへ移設され、駅名はアルバートパーク駅となった。

 
1850年代からメルボルンの海岸は、海水浴客でにぎわっていたが、アルバートパークの南側は1880年代まではほとんど住人がいなかった。1880年代になると、桟橋、グランドホテル、海岸通りであるビーコンフィールド、シーサイドリゾートらしい施設が次々と建設された。1890年に Kerferd Road沿いにトラムが出来、メルボルンからの日帰りの行楽客が増加した。アルバートパークは、基本的には住居地区だが、他のメルボルンの地域に比べると小規模の住宅やアパートが多い。

グランドホテル


 セントキルダ鉄道線は、1987年に廃止されトラム(ライトレイル)がその線路を使用した。

アルバートパーク鉄道駅のシティ側には鉄道信号ボックスが置かれていた。シティ側のBridport Streetにはinterlocked gatesが置かれていた。

現在は、ビクトリア鉄道博物館となっている。

ビクトリア鉄道博物館

Wikipedia

Onmydoorstep

eMelbourne
このページのトップに戻る   

inserted by FC2 system