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フレミントン橋鉄道駅  Flemington Bridge railway station

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2023年2月5日(日) responsive版
フレミントン橋鉄道駅  
Flemington Bridge railway station
アスコットベール Ascotvale
メルボルン Melbourne
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フレミントン橋鉄道駅は、メルボルン近郊線アップフィールド線(Upfield line)の駅である。メルボルンの内側北側(inner northern)方面であるフレミントンとノースメルボルン地区へのアクセス駅である。1885年4月10日にフレミントン駅として開業したが、同年12月にフレミントン橋駅と改名した。

撮影データ i phoneXR 1/1190 絞りF1.8 ISO感度 25 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2023年1月20日17:20 撮影:板屋雅博

シティリンク高速道路で空港線を走ると、39本の大きな赤い斜めの柱と巨大な黄色の柱が道路にそびえているのが見える。70mの黄色の鋼鉄製ビーム鋼材と39本の柱は、高速道路のフレミントン出口に設置されており、公式には、メルボルン国際出入り口(Melbourne International Gateway)と名付けられている。ニックネームは、チーズスティック(Cheese Stick)である。

黄色の柱は、ビクトリアゴールドラッシュを、赤いポールは豪州小麦産業を表している。このモニュメントにより、旅行者は、メルボルン市に到達したことを知る。シティリンク高速道路が完成した際に建築会社デントン・コーカー・マーシャル(Denton Corker Marshall)が建設した。

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Denton Corker Marshall

 フレミントン橋鉄道駅は、マウントアレキサンダー道路( Mount Alexander Road)とレースコース道路(Racecourse Road )が鉄道で高架交差の堤防(mbankment)に位置する。
シティリンク高速高架道路はフレミントン橋鉄道駅のすぐ西側に位置する。


 ノースメルボルンからコバーグまで路線が拡張した7か月後の1885年4月10日に開業した。
フレミントン橋は、フレミントン道路がムーニーポンドクリーク川(Moonee Ponds Creek)の上の掛かる橋の名前に由来する。最初の橋は1851年にベンディゴ金鉱山地区(endigo goldfields)へ旅する金鉱山関係者(gold prospectors)への便を改善する目的であり、当時良く知られたジェームズ・パトリック・メイン(James Patrick Mains)の名前からメイン橋(Mains Bridge)と名付けられた。その後、フレミントン道路橋、フレミントン橋と名前が変わった。
恒久的な鉄道建物は、1886年に建設され、バウンダリー道路とマウントアレキサンダー通りへの通り道として木製の階段が設置された。



 1891年に州議会駅設置委員会(Parliamentary Standing Committee on Railways)は、エッセンドン
線のピーク時の混雑を緩和し(relieve crowding on)、シティへの短縮された別ルートを建設する為、フレミントン橋からパスコベール駅(Pascoe Vale station)への鉄道分岐線(spur line)の建設を推薦した。現在のシティリンク高速道路に続く計画であった。

委員会は、単線鉄道線の建設費用を93,000ポンドと見積もったが、予算としては3万ポンドとして、残りは土地の寄付によるとした。政府は提言を受けなかった。

 1944年に現在の駅建物がアスベストを含むセメント屋根が建設され、同時に階段はアスファルト舗装の傾斜路に置き換えられた。
1997年のシティリンク建設時には、一時的な交差場所(crossover)が近くのマウントアレキサンダー道路に設置され、アップフィールド線の終点とされ、旅客用にニューマーケット駅までバスが運行された。この際にフレミントン橋からノースメルボルンまで高架道路が建設された。


 国際ゲートウェイから少し南側に巨大なチューブ構造が近隣の住宅への騒音公害を軽減する為に、道路上に建設された。
チューブ構造は、建設当時の州首相のジェフ・ケネットにちなんでジェフのコンドームとニックネームされた。


 アップフィールド線は、ノースメルボルンからコバーグまで1884年9月に開業した。サマートン駅(Somerton)までは1889年に延長された。複線化は、1888年にロイヤルパーク駅(Royal Park)まで、サウスブランズウィック駅(現ジュウェル駅)までが1889年、コバーグまでが1891年、ブランズウィック駅までが1892年に複線化された。
コバーグ駅からサマートンまでは1903年に閉鎖されたが、フォークナー駅までは1906年に開業されたが、駅の近くにフォークナー墓地が開業された為、葬送用列車(funeral trains only)のみの運行であった。



 全営業は、フォークナー駅まで1915年に運行され、1920年に電化された。
1928年には、鉄道委員会の強い反対にも関わらず、州政府はフォークナー駅からサマートン駅までをAEC railmotor鉄道により再開業して、フォークナー駅で電化列車につなげた。
AEC railmotorは、ビクトリア鉄道が採用した電気式列車で比較的に成功した。
1922年から1925年に24車輌(trailer vehicles)が似たデザインを製造された。


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