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コバーグ鉄道駅 Coburg Railray Station Inner Circle Railway line

2021年1月16日(日) 従来版
コバーグ鉄道駅 Coburg Railray Station
Inner Circle Railway line
コバーグ Coburg
メルボルン Melbourne
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コバーグ鉄道駅は、1884年にオープンした。1889年にサマートン駅(Somerton)まで延伸された。使用されなくなった信号扱所(signal box)が駅の北側(Up end)の高架下でMunro Stree交差点の対面に存在する。インターロック式ゲートが1928年に設置された際に設置された。

撮影データ Canon EOS 5D MarkⅡ シャッター優先AE 評価測光 1/640 絞りF5.0 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2020年1月21日16:36 撮影:板屋雅博

内側円路鉄道線は、蒸気機関時代のメルボルンの近郊鉄道路線で後に電化された。パークビル、カールトンノース、フィッツロイノース、フィッツロイの内側北側を結んで運行された。西側ではアップフィールド線(Upfield line)のロイヤルパーク駅(Royal Park)から、東側では現在のメルンダ線(Mernda)のラッシャル駅(Rushall)とメリ駅(Merri)の三角乗り入れ駅(triangular junction)まで運行された。フィールド駅までの支線が同時にオープンした。内側円路鉄道線(Inner Circle Railway line)は、ロイヤルパーク駅からクリフトンヒル駅までの区間を1888年5月8日に運営を開始された。ノースカールトン、ノースフィッツロイと支線のフィッツロイ駅の3駅であった。フィッツロイ支線はパーク通りからエジンバラガーデン(Edinburgh Gardens)であった。

  内側円路鉄道線が最初にオープンした時、列車の運行は、メルボルンCBDの西端にあるスペンサー通り駅を起点としていた。列車は、ハーストブリッジ線(Hurstbridge)のハイデルベルク駅(Heidelberg)が終点であった。途中でノースフィッツロイ駅で南方のビクトリアパーク(当時はコリンウッド駅)まで運行していた。蒸気機関車は、ビクトリアパーク駅で前後を逆に換えてクリフトンヒル駅へ北上して戻り、東へ向かってハイデルベルク駅に到着した。1889年12月にウィットルシー(Whittlesea)路線がオープンした際にフリンダース通り駅が始発駅に代わり、内側環状線を通った。同じルートと使うその他の路線としては、プレストン駅へ行くルートだけであった。1本の旅客列車が、スペンサー駅からフィッツロイ駅まで支線を使って運行されていたが、1889年10月にノースフィッツロイ駅からの行き戻りシャトル便となり、1892年5月に旅客便は閉鎖された。
 
1891年の3月から5月の短期間、 内側と外側の円路鉄道線が、ビクトリア鉄道システムの東側と西側の各半分の間のリンクが結合された。結合に先立ち、結合線は、フリンダース通りとスペンサー通りの間のCBDの端に沿って地上レベルのトラム路線を経由した。トラム線の鉄道利用は主に夜間に限定された。1888年12月から1891年の5月までの間、新しいフリンダース通り高架線(Viaduct)
が建設され、フリンダース通り駅とスペンサー通り駅を結んだ。これにより内側と外側の円路鉄道線を結んで貨物鉄道輸送が完成した。
 
1901年にプリンセス橋駅からアボッツフォードを通りクリフトン駅までの東側新路線が開通した。これによりハイデルバーク駅行きの列車は、ビクトリアパーク駅で、先頭の機関車を前後逆にする転換操作の必要がなくなった。プレストン線も同ルートに変更された。ウィットルシー路線の列車は、スペンサー通りを始発駅として内側環状線を使用した。
1901年以降、内側環状線の主要路線運行数が減ってきて、ラウンドアバウト(roundabout)運行が始まった。1906年頃、プリンセス橋駅からクリフトン駅経由でノースフィッツロイ駅へ蒸気機関車の定期運行が開始された。1919年頃にはピーク時以外で毎時1便が運航された。

 
ロイヤルパーク駅とクリフトン駅間の電化は、1921年7月31日に完成したが、フィッツロイ支線は電化されなかった。電化に続き旅客サービスがノースカールトンまで15分間隔で始まった。平日は2両編成で、週末は車両は増やされた。メルボルン動物園に向かう客の為にロイヤルパーク駅まで延伸された。1940年にビクトリア鉄道主任技師アッシュワースの鉄道改善案によってメルボルンCBDにノースメルボルンに始まる5つの地下鉄道駅を作る案が提出されて、内側円路鉄道線は活性化が検討された。内側円路鉄道線が遠回りなルートであったので敬遠され、直線的にシティに向かうトラムに顧客を取られた。1944年にはピーク時以外は30分間隔となった。旅客運行は1948年に廃止され、ノースカールトン駅とノースフィッツロイ駅は旅客用としては廃止された。
 
以前の地上面交差点(level crossings)の鉄道のいくつかは現存しているが、その他の鉄道路線は取り除かれた。ラッシャル駅からロイヤルパーク駅駅までの鉄道保護地は、線状の公園となり、自転車や歩行者用のメルボルン周辺遊歩道( Capital City Trail)となり、メリクリーク川までを結んだ。ムーニーポンドクリークまでの遊歩道も繋がっている。アップフィールド線とメリンダ線の間の電力供給用頭上支柱など、いくつかの信号機や部分的な地上面交差点も現存している。
内側円路鉄道線の3駅の中で現存するのはノースカールトン駅でコミュニティセンターになっている。ノースフィッツロイ駅は、ニコルソン通りの遊歩道サイクリング通りの少し盛り上がった場所となっている。遊歩道は、駅のプラットフォームに沿った場所である。フィッツロイ駅は住宅となったいる。

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