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旧リッチモンド発電所 Richmond Power Station

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2015年12月21日(月)
旧リッチモンド発電所
Richmond Power Station
クレモ−ン Cremorne
メルボルン
Melbourne
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リッチモンド発電所は1890年代の初頭では豪州最大の発電所であり、発電能力は75万キロワットであった。現在、オーストラリアの公共用電力標準となtった50サイクル交流電気を採用したビクトリアの最初の発電所である。技術的な革新により巨大な中央発電ユニットが可能になり、比較的遠距離にいる顧客へ電力を送り届けることができるようにになった。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/800 F5.0 ISO感度 100 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2015年1月21日15:25 板屋雅博撮影

 リッチモンド発電所はビクトリア最古の大型発電所である。リッチモンド発電所のような大型発電所の建設が可能になったのは1880年代に交流発電が開発されたからである。交流発電以前は、直流発電が行われていたが、直流発電の場合はビルなど電力を使用する現場の近くに立地する必要があった。その後の数十年で電力への需要が急速に高まり、また技術開発も大幅に進み、リッチモンド発電所は多くの改善が加えられた。当時の改造跡は建物の基礎部分に見ることが出来る。


 リッチモンド発電所は豪州電灯及び動力会社(New Australian Electric Lighting and Traction Co)によって1891年に建設された。ビクトリア植民地最初のAC交流発電所であった。 リッチモンド発電所のオーナーはメルボルンの中心部に小型の直流発電所を所有していたが、交流発電の長所を活かして、市内から離れたリッチモンドに大型発電所を建設した。発電先進国の英国では初めての大型交流発電所は1882年にウェスティングハウス社によって建設されている。リッチモンド発電所は、メルボルン、リッチモンド、プラーン、サウスメルボルンへ電力を供給する契約を結んだ。他の電力供給会社はA U Alcock's Electric Light and Motive Power Companyがあった。 

 リッチモンド発電所はバブコック・ウィルコックス社(Babcock & Wilcox)が特許を持つ蒸気ボイラー( water-tube boile)を初期に導入している。Elwell-Parker社製750kw交流発電機が最初に導入された。電力は2kv、97HZであった。
交流発電機の動力は、1台のロビー(Robey )式複合蒸気エンジン(200馬力)であった。1901年には英国Brush Universal社製の2台の500kw発電機を導入した。

Elwell-Parker社

発電所寿命の長期化のため、設備や構造のアップグレードが行われた。同発電所は1930年にビクトリア州電力局( State Electricity Commission)が購入し、1976年まで発電を続けた。1990年代に事務所ビルに改築された。


1899年までに垂直蒸気エンジンが導入され、エンジン建屋の天井が上げられた。2台の Parsons-Brush社製1MW(メガワット)一相ターミナルボルト4.2kvターボ交流発電機が1905年に導入された。1907年には1台のCurtis-Thompson社製1.5MWターボ交流発電機が購入された。1908年には会社名がメルボルン電力供給会社(Melbourne Electric Supply Company Limited)に変更された。1910年には2台のBellis & Morcomb社製高速度拡張型エンジンがBrush社製交流発電機に取り付けられた。エンジン室が東側に拡張され1911年以降に4台の交流発電機が追加され出力は10MWが増加された。数台のバブコック・ウィルコック社製のボイラーが追加された。1913年には150ftの煙突が建設された。第一次世界大戦後の1919年頃に電力需要が高まりエンジン建屋とボイラー建屋が拡張された。1924年には設置された設備の出力は17MWに達した。

ビクトリア州政府の電力供給システムを改善策として1930年にビクトリア州電力局(SEC)に引き継がれるが、1920年代に発電所には大がかりな改造が加えられた。SECは1976年に廃業するまでリッチモンド発電所をピーク時対策用発電所と位置付けて拡張投資を行った。 リッチモンド発電所は当初は一般企業所有の比較的小さな発電所であったが、その後、州政府公社SECの大型発電所となりSECの送電ネットワークに組み込まれた。

Onmydoorstep

Wikipedia



リッチモンド発電所は19世紀の石炭火力発電所の傑作である。リッチモンド発電所の立地は鉄道駅とヤラ川に近い場所でありこれは石炭と蒸気用の水を安価に入手できる場所であった。各種の産業が未発達で限定された19世紀では非常に貴重な発電所であった。
リッチモンド発電所の初代所長は H. R.Harperであったが、彼はその後、MCC電力供給局のチーフ電力技術主任に昇格し、更に1919年に州電力委員会が1919年に作られた際に最初のチーフ電力技術主任に任命されている。

リッチモンド発電所は、Henry B. Gibbsがイタリアンロマネスク様式で設計している。
またメルボルンの著名な建築家チャールズデブロー(Charles D'Ebro)は初期の設計には関係していないが、多くの改造プランには設計に携わっている。

 第二次大戦後メルボルンでは深刻な電力不足にみまわれた。戦火にあった英国が立ち直るまでの数年間、英国の設備メーカーから蒸気発電設備を購入できなかった。1950年にスイスのブラウンボベリ(Brown Boveri)社の38MW、3シリンダー蒸気ターボ発電機1台が設置された。
リッチモンド発電所は、1970年代には旧式な設備となったが、ピーク電源として信頼性が高い設備として安定的に使用された。1982年に閉鎖された。

蒸気エンジンの歴史

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