リッチモンド発電所は豪州電灯及び動力会社(New Australian Electric Lighting and Traction Co)によって1891年に建設された。ビクトリア植民地最初のAC交流発電所であった。
リッチモンド発電所のオーナーはメルボルンの中心部に小型の直流発電所を所有していたが、交流発電の長所を活かして、市内から離れたリッチモンドに大型発電所を建設した。発電先進国の英国では初めての大型交流発電所は1882年にウェスティングハウス社によって建設されている。リッチモンド発電所は、メルボルン、リッチモンド、プラーン、サウスメルボルンへ電力を供給する契約を結んだ。他の電力供給会社はA
U Alcock's Electric Light and Motive Power Companyがあった。
発電所寿命の長期化のため、設備や構造のアップグレードが行われた。同発電所は1930年にビクトリア州電力局( State Electricity
Commission)が購入し、1976年まで発電を続けた。1990年代に事務所ビルに改築された。
1899年までに垂直蒸気エンジンが導入され、エンジン建屋の天井が上げられた。2台の Parsons-Brush社製1MW(メガワット)一相ターミナルボルト4.2kvターボ交流発電機が1905年に導入された。1907年には1台のCurtis-Thompson社製1.5MWターボ交流発電機が購入された。1908年には会社名がメルボルン電力供給会社(Melbourne
Electric Supply Company Limited)に変更された。1910年には2台のBellis & Morcomb社製高速度拡張型エンジンがBrush社製交流発電機に取り付けられた。エンジン室が東側に拡張され1911年以降に4台の交流発電機が追加され出力は10MWが増加された。数台のバブコック・ウィルコック社製のボイラーが追加された。1913年には150ftの煙突が建設された。第一次世界大戦後の1919年頃に電力需要が高まりエンジン建屋とボイラー建屋が拡張された。1924年には設置された設備の出力は17MWに達した。
リッチモンド発電所は19世紀の石炭火力発電所の傑作である。リッチモンド発電所の立地は鉄道駅とヤラ川に近い場所でありこれは石炭と蒸気用の水を安価に入手できる場所であった。各種の産業が未発達で限定された19世紀では非常に貴重な発電所であった。
リッチモンド発電所の初代所長は H. R.Harperであったが、彼はその後、MCC電力供給局のチーフ電力技術主任に昇格し、更に1919年に州電力委員会が1919年に作られた際に最初のチーフ電力技術主任に任命されている。
リッチモンド発電所は、Henry B. Gibbsがイタリアンロマネスク様式で設計している。
またメルボルンの著名な建築家チャールズデブロー(Charles D'Ebro)は初期の設計には関係していないが、多くの改造プランには設計に携わっている。