シティ案内

今日の一枚へ

カペル通り62番地の住居

メルボルン百景トップ

ウェストメルボルン

1870-79

カールトントップ

2019年8月12日(月)
カペル通り62番地の住居
Residence at 62 Capel Street,
ウェスト・メルボルン West Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

ウェスト・メルボルン、カペル通り62番地の住居は、大工のトーマス・ノブル(Thomas Noble)が1864年に建築して、自分で所有し、居住した。建物は、2段階で建築され、1階は、ブルーストーン石材を使用し、2階は3部屋がある2階建ての家屋である。外壁は化粧レンガが使用されている。1860年代に第二段階の建築があり、合計6部屋の家屋が完成した。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF5.0 1/640秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM 2014年1月13日814:20 板屋雅博 撮影


 蛇腹式の欄干と一階開口部と角に置かれた隅石が特徴である。

この住居は前面道路の境界線ぎりぎりに建てられている。これは都市計画や建築基準が未発達の状態であったメルボルン開発の初期の時代にはあまり見られない現象である。
もうひとつは、建物が石材を使っている点である。
この建物が建つウェストメルボルンでは、メルボルン建築法が適用されていないにも関わらず高価な石材が使用されている点である。ウェストメルボルン地区では当時はメルボルン建築法が適用されていなかった。比較的低所畜舎が住む同地区ではほとんどの建物は建築費が安い材木を使用していた。


VHD


 結果として材木製の家屋は朽ち果てたが、石材製のカペル通り62番地は19世紀の民家として現存している。建物、特に1階部分がシンプルな構造で飾り気がないことや、建物が段階的に建てられたことは、オーナーであり建築者である大工が小さな所帯で質素な生活をしていたことが分る。1850年代、60年代のこの地区では一般的な庶民であった。トーマス・ノブルは、この地区でいくつかの建物を建築している。カペル通り62番地住居は、石材と化粧レンガのの並列配置を採用している初期の事例である。シャッターや詳細な作り込みなどのアクセサリーも現存している。


 メルボルン建築法(Melbourne Building Act)は、1849年にシドニーで成立し、1850年元旦に施工された。当時は、サウスフィッツロイと呼ばれたヤラ川からビクトリア通りまでのメルボルン中央部が対象であった。同法により建築許可を得ることや、不燃性材料を使用することなどが定められた。建物の敷地の境界線からセットバックしていて、屋根などを通して、隣の家屋と防火壁で仕切られていること、などの条件を満たせば、木材の使用も認められた。この建築法により、テラスハウスや一連の店舗外観は著しく変化した。




 ゴールドラッシュの到来により、建築業は完全に停止に近い状態となった。労働者は、すべて金鉱山へ向かい、資材は天文学的に高騰した。1852念から1853年の間にメルボルンの建築物の数は、4939戸から4980戸に変化しただけであった。しかし建物の価格は、360%に激増した。この増加は、土地の価格の増加を正しく反映したものであり、建物の数の増加には関係ない。一方で郊外には、建築法の規制がきかない郊外には、手抜き工事の建物が乱立した。リッチモンドとコリンウッドには、乱造された家屋がメルボルンと同様に広がり、メルボルンのスラム街と言われた。


Building and Construction(eMelbourne)

 corniced 蛇腹式の
 parapet 欄干
  rudimentary nature 初期の、未発達の
 jerry building 手抜き工事の建物



のページのトップに戻る 

inserted by FC2 system