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2006年12月24日(日)へ 14時20分 クリスマスイブ グリーンウィッチリザーブ(Greenwich Reserve) ウイリアムズタウン Wiiliamstown コリンズ通り Collins Street Melbourne Melway 56−B5 天気予報ではメルボルンの天気は雨、気温は19度です。クリスマスの時期には異例の寒さです。メルボルンっ子はそうは思わないので、大して感じてません。 多少、寒くともクリスマスの楽しさには変わりはありません。 BBQが出来るまでビールを飲むふたり。 グリーンウィッチリザーブ(Greenwich Reserve)は、ウィリアムズタウンの町の入り口にあります。 ウィリアムズタウンは、メルボルンシティからは、直線距離では6kmほど離れています。ヤラ川を渡るのに回り道しますので、フッツクレー経由になり車では15kmほどになります。ホブソンズベイ市(City of Hobsons Bay)に属します。 ニューポート(Newport)との境の地点です。 ここの海は推進が非常に浅く喫水が浅い船は通行が不可能です。 入り江になっており、ビクトリア公園管理委員会(Parks Victoria Commitee)が管理しています。 ホブソンズベイとは、ウィリアムズタウンからポートメルボルンあたりまでを指します。 1835年11月、ロブソン コルティッシュ(Robson Coltish)船長が指揮する三本マストの帆船『Norval』号は、羊500頭と牛50頭を積んで、タスマニア北部の街、ロンセストン(Launceston)を出航しました。目指すは豪州本土です。積荷は、アレクサンダー トーマスからの荷物です。ロブソン船長は、フィリップ湾(Port Phillip)の中でウィリアムズタウンを選んで、荷物を荷揚げしました。数週間後、タスマニアからの船団がウィリアムズタウンに到着しました。最初の植民者たちです。 Wiiliamstowninfo 子供公園(Playground)で遊ぶ子供たち。 タスマニアは、1803年にイギリス人よって殖民が開始されました。当時タスマニアは、バンディーメンズランドと呼ばれていました。現在の州都であるホバートが最初の街です。植民者は、囚人と看守である兵隊です。1830年代には、アボリジニを駆逐しながら、タスマニアのほとんどで殖民が進みました。そして本土を目指したのです。従ってウィリアムズタウンは、見知らぬ土地でしたが、ほぼ要領はわかった上での殖民だったのです。そこで最初から羊や牛を先に送り込んでから移民団は、あとからやってこれたのです。 向こうに見えるのは、ヤラ川をさかのぼる貨物船です。ここがヤラ川の河口です。ウィリアムズタウン側は、公園といしてきれいに整備されています。しかし対岸のポートメルボルン川は港として開発が進んでおり、既に自然は残されていません。 ポートメルボルンの海岸までは直線で4kmほどです。ウィリアムズタウンは、メルボルンから一番近い観光地です。たくさんの観光船がサウスゲートや、セントキルダを結んでいます。またメルボルンは、豪州No1のコンテナターミナルでもあります。ヨットもたくさん走っています。この界隈は海の銀座通りと呼びたくなるラッシュアワー地帯です。 左側にウェストゲイト橋(Westgate Bridge)の橋げたが見えてます。 ウィリアムズタウントップ City of Hobsons Bay公式Web このページのトップへ