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パーラメントハウス ビクトリア州議事堂 Parliament House Victoria

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2012年7月9日(月)
ビクトリア州議会議事堂
Parliament House, Melbourne
スプリング通り Spring Street
この場所の地図 Google Map
 
メルボルン・シティの東の端、イースタンヒルに立つビクトリア州議事堂は、未完成の議事堂である。ドームなどが計画されたが、いずれも資金不足の為に実現しなかった。メルボルンの象徴的な建物のひとつであり、メルボルンシティを見守りながら立っている。

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建築年:1856年   (1930年に改装)
場所:110-160 スプリング通り Spring Street 
地図: Google Map
設計:Peter Kerr & J.G.Knight
建築時代:ビクトリアン (Victorian)
建築様式:クラシカル Classical 、アカデミッククラシカル Academic Classical

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パーラメントハウスは、1856年以来、現在までビクトリアの議事堂である。
1855年から豪州連邦が成立する1901年まではビクトリア植民地の議事堂であった。
1901年に豪州連邦が成立し、メルボルンが最初の首都になってから1927年に首都がキャンベラに移るまでは、パーラメントハウスが豪州連邦の国会議事堂だった。
19世紀の豪州の建築物としては最大の建築物でもある。
また大英帝国の植民地の建築物としては最高傑作のひとつと言われている。
ギリシャ風の威厳と風格がある姿が見事。
この場所は、イースタンヒルと呼ばれるメルボルンの高台にある。
周りにはフィッツロイ公園や、セントパトリック大聖堂などがあり、高層建築物が無いので景観も守られている。

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1851年、当時の植民地監督官(Colonial Suveyor)であったロバート・ホドル(Robert Hoddle)は、総督チャールズラトローブ(Charles La Trobe)の命により新しい州議事堂の場所をバーク通り(Bourke Street)の東の高台に設定。
1851年以前は、メルボルンはNSW植民地の支配下にあり、行政はシドニーからの指示に従っていた。
1851年7月は、ビクトリア植民地の成立以降は、独自の自治権を持ち、ロンドンの英国政府と直接交渉できるよになったことはメルボルンの人々にとっては、連邦成立の時よりもはるかに喜ばしいできごとであった。更に、同じ1851年7月にゴールドラッシュが始まったことは、ビクトリア植民地を飛躍させた。


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この場所は、伝統的に原住民族アボリジニのクルン族(Kulun)の5つの部族の聖なる集会所、儀式の場所であった。
スプリング通りは、メルボルンシティ(CBD)の東の端にある南北に走る通り。
この通りは、メルボルンのシティでも一番の高台にある。
当時は、2階建ての低い建物が建っているだけの状態であり、メルボルン市内全体が見渡せる一等地で、メルボルンの建設当時から市や州の役所が立ち並ぶ官庁街だった。
尚、ホドルは、メルボルンの中心部の道路割り(Hoddle Grid)を作ったことでも有名。
ロバートホドルの名前は、ホドル通りに、チャールズラトローブの名前は、La Trobe大学とラトローブ通りにその名を残している。

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1855年にパーラメントハウスの建設がこのスプリング通りの地で始まる。
1856年から順次、段階的に作られていき、最終的には1929年に一応の完成に至った。
ビクトリア州法制審議室(Victorian Legislative Assembly)、ビクトリア州法制評議会室(Vicotian Legislative Council)が、1856年に最初に完成。
1860年には図書館、1879年には大ホール(Great Hall 現在のQueen Hall)、玄関ホール(vestibute)が完成。現在のスプリング通りに面した正面のファサードは1893年に完成。
これは適したビクトリア州石材を探すのに時間を要したから。
正面のファサードは、ロンドンのLeeds Town Hallをベースにして設計されている。
鋳物製のランプやフェンスは、1892年に設置された。


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1901年から1928年の間は、豪州連邦の国会議事堂となった。
豪州連邦初期の時代、多くの出来事がパーラメントハウスで起こっている。
豪州労働党(Australian Labor Party)の結成、自由党(Leberal Party)の結成など。
その間は、ビクトリア州議事堂はカールトン(Carlton)のロイヤルエキジビジョンビルディング(Royal Exhibition Building)を使用した。
その後は、ビクトリア州議会議事堂として現在に到っている。

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議事堂の設計は、公募により実施されたが、結局は政府の設計官であったチャールズパスレイ(Charles Pasley)が設計。
英国のウェストミンスター宮殿(the Palace of Westminster) パーラメントハウスの建築を参考にして設計された。ビクトリア州法制審議室(Victorian Legislative Assembly)、ビクトリア州法制評議会室(Vicotian Legislative Council)、図書館、休憩室(Refreshment Rooms)の設計は、John George Knight。
クイーンズホール、正面玄関、西口ファサードの設計は、Peter Kerr。
内部スペースは、Peter Kerrが基本設計。
空調は、JG Knighが1859年に設計した。
1889年には、東側に設けられている庭園からシャフトで新鮮な空気を引き込めるように空調ダクトを新設。

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最初の図面には、巨大なドームが描かれていた。
しかし1891年から始まる不況の影響で結局、ドームは建築されてない。
その後、ごく最近に至るまで何回もドーム建築の議案がビクトリア州議会に出されましたが、巨額の建築費の為に議会で否決。
また南北の翼の部分の建物もまだ建築されてない。
パーラメントハウスは、未完成のままで現在に至っている。

PR50
登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage
VHR Number H1722
File Number 602088 (1-4)

 パーラメント公式Web  Parlament of Victoria
 Wikipedia
 Walking Melbourne  Walking Melbourne Forum


撮影データ Canon EOS 30D 絞り優先AE 評価測光 絞り7.1 1/800秒 ISO感度 200 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2007年11月

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