シティ案内

今日の一枚へ戻る

王立植物園

天文台 Observatory

メルボルン百景トップ

2007年5月22日(火)
晩秋のメルボルン
天文台 Observatory
王立植物園 ビジターセンター
Royal Botanical Garden Visitor Centre

メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今朝は、10℃を切りこの秋で一番の冷え込みとなりました。午前中は、素晴らしい快晴でしたが、午後からは曇ってきて夕方にはパラパラと雨が降り出しました。夜には風も出てきて、晩秋を感じさせるメルボルンです。

昨年の今日 2006年5月22日 

王立植物園 ビジターセンター
Royal Botanical Garden Visitor Centre

王立植物園は、初代総督のチャールズラトローブ(Charles La Trobe)によって1846年にこの場所が選ばれました。ヤラ川のほとりであり、当時は、湿地帯でした。実際に運営が開始されたのは、1857年に初代の館長Ferdinand von Muellerがハーブ園をつくりいろんな植物を世界中から持ち込んでからです。1870年代には、より庭園として景観を主眼にした植物園つくりに転じています。この頃、中央の湖や、起伏がある丘などが作られました。大掛かりな造園を可能にしたのは、もちろんゴールドラッシュで植民地政府が裕福になったからです。英国本国は、もちろん香港、シンガポール、インドなどのアジアの大英帝国植民地、NZ、南アなどからも大掛かりに植物を持ち込んでいます。

 メルボルン天文台
ビクトリア植民地の首都であるメルボルンの科学研究の為に1862年に設置されました。主な目的は、天体観測と正確な時刻を知るためです。当時は、英国本国とは電信交信も出来ない時代です。自国で正確な時刻を測る必要があったのです。もちろん天体望遠鏡などのほとんど全ての精密機器類は、英国本国よりの輸入です。メルボルンから近い小高い丘の上であるこの場所が選ばれました。48インチという当時としては英国本国を抜く世界最大の大型望遠鏡がメルボルンに設置されました。巨大メルボルン天体望遠鏡 "Great Melbourne Telescope"です。もちろん当時、世界一の金持ち都市メルボルンだからこそできた贅沢です。

 1874年には、金星の食(太陽と地球の間に金星が入って影ができる。)を利用して、世界中で観測して、その角度の差から地球と太陽の距離を観測するという世界的な天体行事に威力を発揮しました。
The Great Melbourne Telescope公式Web
Transit of Vinus

1901年の豪州統一国家建設の際には、メルボルンは、豪州の初代首都となりました。メルボルン天文台は、豪州の公式な時刻を決定する国家の中央天文台となったのです。しかしその頃から、メルボルンの都市機能の拡大と共に、都市の光が天体観測に影響を及ぼすようになります。

That's Melbourne

Only Melbourne

メルボルンプラネタリウム

 1933年には戦争記念館が完成するなど、直ぐ近くまで都市機能が押し寄せてきました。そして残念なことに太平洋戦争が終わる1945年には閉鎖されました。そしてメルボルンはその頃、最悪の停滞期を迎えていました。巨大メルボルン天体望遠鏡を含む機器類は売却され四散してしまいました。今日、建築物は建設当時のままに残っています。機器類で残っているのは、1874年の金星観測の際にロンドンから輸入した8インチ反射式望遠鏡と4インチの天体観測カメラです。

この女の子は、さすがはメルボルンっ子。裸足です。

ビクトリア州天体観測協会Web

このページのトップへ

inserted by FC2 system