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アレクサンダーガーデンズ

アレクサンダー公園  Alexandra Gardens

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@チャーチ橋〜プリンセス橋

メルボルンの公園

2017年3月11日(土)
アレクサンダ-公園 
Alexandra Gardens
メルボルン Melbourne
アレキサンドラ公園の地図

アレキサンダー公園は、ヤラ川河畔とセントキルダ通りとなりのふたつの部分に分かれる。ヤラ川河畔部分は音楽コンサートやお祭りなどに良く使われる。クインビクトリアガーデンズやキングスドメイン公園、ボタニックガーデンズ公園などと共にドメイン公園群を形作る。ヤラ川の散歩道の一角として市民に最も親しまれている公園である。

撮影データ Cann EOS 5D MarkU絞り優先AE 評価測光 1/250 絞りF8.0 ISO感度 100 露出補正-2/3 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2017年1月21日17:38 撮影:板屋雅博


 アレキサンダー・ガーデンズ公園は、ヤラ川のほとりでフェデレーションスクエアの対岸にある。
アレキサンダー・ガーデンズ公園は、メルボルン市中心部を取り巻く大型の公園が連なるドメイン公園群のひとつで、ロイヤルボタニックガーデンズ公園につながる。アレキサンダー公園がある場所は、欧州人の定住以前は、ヤラ川周辺の沼地や湿地帯で洪水が頻繁に発生していた。上記の公園は、ビクトリア州遺産に登録されている。メルボルンにヨーロッパ人の定住が始まった1835年以降、上記の公園地区は建築用材木の切出し場、牛の放牧場、建材用煉瓦の焼成場として利用されていた。ヤラ川の護岸工事もない時代で、頻繁に洪水が起きていた。

アレキサンダーガーデンの星型の形は、1901年にメルボルンを首都として英国より独立したオーストラリア連邦を記念したデザインである。

 ビクトリア州公共土木局の主任技術者カルロ・カタニの指揮の下で1901年に最初に設計された。公園の建設残土は、周辺の湿地帯や煉瓦焼成ピットの埋め立てやアレキサンダーガーデンが面しているヤラ川の護岸工事に使われた。
公園の外観整備は、すみやかに行われ、庭園の図面が作成された。1901年5月に英国のヨーク公のメルボルン訪問に合わせたものであった。
ヤラ川の新しい水路が1896年から1900年にかけて掘削され、ヤラ川は曲線部を削って真っ直ぐに整備され、川幅は拡張された。ジョージナ・ホワイトヘッド(Georgina Whitehead)は、メルボルンの公園を論じた著書シティの近代化(Civilizing the City)の中でこの地域を煉瓦職人による穴ぼこだらけでラグーン化した湿地帯であり、時々洪水になったと記述している。




  1896年から1900年にかけ洪水被害を防ぎ、この地域の状態改善の為に、ヤラ川の水路新設と川幅拡張工事が行われた。水路から掘削された川底の残土は、サウスバンク一帯の湿地帯を埋め立て、土地のレベルを水平に変えた。これによりアレキサンドラアベニュー道路とアレキサンドラ公園が作られた。



 アレキサンダーガーデンズの中で特筆すべきはヤラ川河畔のボートハウス群である。1860年代からヤラ川のボート乗りは始まって次第にボート―スへと本格化していった。メルボルン大学を中心としてオリンピック選手も多数輩出している。

オーストラリア・ヘンリーレガッタ

メルボルン大学ボート部艇庫 

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