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ウィリアム・バラック橋 William Barak Bridge

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2013年8月13日(木)
ウィリアム・バラック橋 
William Barak Bridge
ビラランマール公園 Birrarung Marr
メルボルン Melbourne
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フェデレーションスクエアからMCG、オーストラリアンオープンテニス開場へ向かう時に通る500mに及ぶ長い陸橋がある。これがウィリアム・バラック橋である。2006年のコモンウェルス大会の際に、シティ中央部から競技会場へ向かう通路をより簡便に歩けるように作られた。陸橋の名前は、アボリジニの著名人ウィリアム・バラク(William Barak)の名前が付けられた。

撮影データ Canon EOS 40D 絞り優先AE 評価測光 絞り13.0 1/250秒 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF S17-85mm f/4-5.6 IS USM
2008年1月31日午後16時45分板屋雅博撮影

 2005年、ウィリアム・バラク橋と名付けられた525mの陸橋がビラランマール公園からMCGへと向かう道路上に建設された。これまではこの通路にはエキジビジョン通りの延長であるバットマンアベニュー(Batman Avenue)とフリンダース駅へ向かう鉄道群が横切っており、大量の歩行者が一時停止すると交通渋滞を引き起こしていた。
陸橋は最上部で200mほどの歩道になっているがその部分にDavid ChesworthとSonia Leberが製作したProximitiesと名付けられた音楽施設が2006年に作られた。中央部にはアボリジニの一派ウルンディリ族の長老やウィリアムバラクの子孫であるJoy Murphy Wandinなどの歌声が流れている。
MCGへ向かう為には鉄道路線群を越える必要があるので必ずウィリアム・バラク橋を渡る必要があるが、オーストラリアンオープン会場へ向かう為には、陸橋を通らずに下を通って行った方が速く到達出来る。しかしウィリアム・バラク橋の上からのシティは非常に良く見えるのでお勧めである。

 ウィリアム・バラク(1824年頃−1903年)は、最後のウルンディリ族長老であった。ウルンディリ族は広域のメルボルン地域にいた原住民アボリジニ(ngurungaeta)の一派。バラクは、白人社会にも溶け込み、アボリジニを代表するスポークスマンとして活躍し、アボリジニ文化を紹介する重要な役割を担った。バラクは、メルボルンに白人がやってくる10年ほどにメルボルンのクロイドン(Croydon)にある Brushy Creekで生まれた。バラクの父は、ウルンディリ族の長老であり、1835年にジョン・バットマンが偽計によりウルンディリ族からメルボルンを買収した際にも、その場に居合わせた。バラクは、ウルンディリ族の伝統を受け継ぐ者としてリーダーのひとりとなった。バラクは、1837年から39年まで植民地政府のヤラミッションスクールに在籍して英語などを勉強している。1844年にアボリジニで組織された騎馬警官隊に入隊し、その際に英語名ウィリアム・バラクを与えられた。

鉄道線路を越えてMCGへ続くウィリアム・バラク

  1863年にアボリジニ族が強制移動させられていたヤラバレー、ヒールズビルの Coranderrk警察署に30名の同僚と共に移動。1875年に一族の最長老サイモン・ウォンガ( Simon Wonga)が亡くなった為に、一族の最長老に就任した。バラクは、リーダーとして一族の為に献身的に活動を続け、白人の移民者からも高い評価を得ていた。バラクは一族の伝統的な生活と西欧人との出会いを描いたアボリジニアートでもたくさんの優秀な作品を残している。大半の作品は、1880年から1900年までにCoranderrkで描いたもので、フェデレーションスクエアのNGVイアンポッターセンターなどのメルボルンの美術館で展示されている。


ウィリアムバラク陸橋からシティの東南角にあるビル群がきれいに見える。

Culture Victoria

バラックの絵画

 メルボルンにとってヤラパークにあるスポーツ施設群は非常に重要度が高い。MCG、テニスセンター、AAMI競技場などが集中している。このヤラパークとシティの中央部を遊歩道で結ぶウィリアムバラク陸橋の価値も高い。

ウィリアムバラク陸橋からはオーストラリアンオープンの会場が見下ろせる。 大会開催中も目隠しなどはないので、たくさんの人々が会場の雰囲気を味わいに訪れる。

ウィリアムバラク陸橋


ウィリアム・バラクの夜

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