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マーベラスメルボルン

ウィリアムズタウン

No14 報時球とウィリアムズタウン(9月号) 

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2017年8月  日(土)
No13.ガーデンシティ(8月号)No2
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
日豪プレス 

英国から地球の反対側にある植民地メルボルンに向かうには帆船が唯一の手段であったが、GPSもレーダーも無い時代である。どのように航法を確立したのかは大きな問題であった。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF5.0 1/1000秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2017年1月19日11:49 板屋雅博 撮影

ウィリアムズタウン天文台の報時球

 英国からメルボルンへは帆船が唯一の移動手段であったが、航法が難題であった。
緯度を計測をしながら英国から大西洋をまっすぐに南下して、アフリカ最南端の喜望峰まで到達した。喜望峰からはインド洋を真西に航海してメルボルンへやってきた。
緯度は北極星を六分儀で観測して測ることが出来た。17世紀までに日本にやってきた南蛮船では経度の測定方法が確立していない為に、陸地や島を目視しながらやって来た。しかし喜望峰からインド洋を西へ航海する場合には島も陸地もなく、経度の正確な測定なしには航海が出来ない。経度は太陽の南中時刻を2点で観測しその時間差で求める。地球一周(360度)で1日分(24時間)となるから、経度が15度離れていると南中時刻に1時間の差異が生まれる。

ウィリアムズタウンの町並み

  理論的には解明されたが、どうやって海上で正確な時間を知るのかが難題であった。
比較的正確で外洋海路の荒波での使用に耐える小型時計、マリンクロノメーターが初めて開発されたのは、18 世紀後半、クック船長の2回目の世界航海の際であった。しかし比較的正確とは言っても当時のゼンマイ式時計は誤差が大きく、航海の度に天文台から正確な時間を入手する必要があった。

ウィリアムズタウン税関

  世界制覇を目論む大英帝国がグリニッジ天文台を設置した大きな理由がここにあった。伊能忠敬が1800年から16年をかけて日本地図を作った際には、振り子時計という一種のクロノメーターを使用したが正確なものではなく、伊能の地図は経度測定が不十分であった。
メルボルンのサバーブで外洋への玄関口に位置するウィリアムズタウンには天文台が1849年に設置された。天文台の屋上に設置された報時球が毎日正確に正午に落下された。
メルボルンから出発する外洋船は天文台のすぐそばに停船して、報時球の落下時に船長や一等航海士がマリンクロノメーターの時間を正午に合せてから、英国などへ出発していった。ウィリアムズタウン天文台の報時球は1853年から運営を開始した。

ウィリアムズタウン小学校

 グリニッジ天文台に経度基準点が定められグリニッジ標準時とされたのは1851年であり、
報時球は1833年に設置され現在も稼働している。メルボルンの科学技術は英国本国と連動してほとんど同時期に運営されていたことがわかる。
ウィリアムズタウンには19世紀の税関、軍港、要塞、ヨットハーバーなど港湾関係の見どころが多い。メルボルンで一番の観光地でもあるので人気レストランやカフェ、ブティックなどが多数ある。電車やトラム、定期船、遊覧船などでも行くことができる。

天文台前から見るメルボルン湾

ウィリアムズタウン天文台

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