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マーベラスメルボルン

メルボルンの魂 ブルーストーン Buestone

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2021年10月10日(日) responsive版
ブルーストーン Buestone
マーベラス・メルボルン21年12月号No58
メルボルン Melbourne
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ブルーストーンは、メルボルンの石畳みの路地舗装材や、主要な建物の土台部分の基礎材や外壁材として使用されている。
州議事堂、メルボルン刑務所、旧財務局、タウンホール、セントポール大聖堂、GPO中央郵便局、フリンダース駅など限りが無い。

撮影データ Canon EOS 5D MarkⅡ 絞り優先AE 評価測光 1/1250 F7.1 ISO感度 200 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月15日18:12 板屋雅博撮影

 ブルーストーンは、ビクトリアの南西部に広がる洪積世の玄武岩質溶岩のことで、Vic州の玄武岩平原は世界で3番目の面積を誇る。
アボリジニの人々はブルーストーンを8000年前からウナギ取りの仕掛けや石材製家屋に使用していた。
メルボルンの最初の石切り場は、1835年から1840年代に作られた。
市内のフィッツロイガーデンで最初に採掘され、カールトン、クリフトンヒルでも続いた。
1840年代、メルボルンに到着した多数の帆船が、帰りの空船に重量バランスを取るバラスト用にブルーストーンが積み込まれた。英国ロンドンの道路舗装材として使用されたが、この時期の最大用途であった。

 
ブルーストーンという名称は当時、他地域の玄武岩と地元フッツクレイ産との違いを訴えるブランドネームである。
1840年代まで、ブルーストーンは、重くて輸送も困難であり、硬くて加工が難しく、また
表面が暗くて人気はなく、建物の土台など、教会と商業ビルで使用された程度であった。
ゴールドラッシュ期からは安くて豊富な人気の建材となり、表面加工や、曲線を要求しない建物に普及し、専用倉庫も増加した。
重量がある石材を切り出して運んだのは囚人の労働力であった。


 クリフトンヒルの仕切り場では、コリンウッド刑務所(現ノースカールトン公立小学校)の囚人が石を切り出し、ブルーストーンカレッジの愛称を持つペントリッジ刑務所の外壁材が1851年に建設された。
メルボルン近郊のフッツクレイは多数の石切り場があり、石材の町として知られ、住民男性の多くは石切り労働者として働いた。



 1850年代の石切り場では黒色火薬の爆発物を使用していた。鋼鉄製手動ドリルで穴を開け、パウダーモンキーと呼ばれる火薬係が爆発物を穴につめて、ヒューズに点火した。パウダーモンキーの役割は、非常に危険で石切り場の中で最も給料が高かった。
メルボルン市内の路地にあるブルーストーン石材ブロックには、石切りプロセスで使われたドリル穴の痕跡を見ることが出来る。石材の表面に刻まれた刻印を見ることがあるが、これは囚人労働者が自身の存在の痕跡として刻んだものである。


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