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コリンズ通@

メルボルンクラブ Melbourne Club

メルボルン百景トップ

2011年4月24日(日)
メルボルンクラブ
Melbourne Club
コリンズ通り Collins Street
メルボルン Melbourne
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航空写真

メルボルンクラブは、メルボルンで最も権威ある社交クラブ。連邦国家首相、州首相などをはじめとしてメルボルンビジネス界のトップがメンバー。一般の人にはなじみが薄いがオーストラリア政界にも大きな影響力を持っている。

撮影データ Canon EOS 5D
絞り優先AE AIサーボ 評価測光 1/100 絞りF9.0 ISO感度 640 露出補正 ホワイトバランス 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L
2011年1月2日撮影

メルボルンの建築物 1850年から1859年

 メルボルンクラブは、メルボルンで最も権威ある社交クラブ。
男性だけであり、入会は会員の推薦がないと入れない。年会費は、$7000とかなり高く、メルボルンのトップ層のみがメンバーである。
クラブハウスの北側には、かなり広い庭があり、メルボルンクラブのパーティなどが開かれる。
一般には公開していないが、年に一度、オープンガーデンのイベントが開かれている。
Whitehat

 

メルボルンクラブは、男性だけの閉鎖されたクラブであり、秘密結社フリーメイソンとのつながりも噂されている。
女性だけのクラブAlexander Clubや、軍の退役軍人用のクラブなども、コリンズ通りにある。

Alexander Club

 メルボルンが出来た1835年から3年後の1838年11月に設立された。当初は、メルボルンの最初の移民であるジョン・パスコ・フォークナーの私邸で始まっている。場所は、コリンズ通りとマーケット通りの交差点にあった。
第一回のクリケット大会が1838年にバットマンヒルで行われることになり、その母体として組織を作る必要が出たことが、メルボルンクラブの発端。バットマンヒルは、現在のサザンクロス駅の周辺の高台。メルボルンの最初の弁護士Mr. William Meekが初代の幹事長となった。
最初のメンバーには初代の行政トップであったウィリアム・ロンズデール大佐、メルボルンの土地区画などの行政官、ロバートラッセル、Dr. Barry Cotter (メルボルンの最初の外科医),などが入っている。
ロンズデール、ラッセルは、それぞれメルボルンの通りに名を残している。

 当時のメルボルンは、人口1万人のさいはての植民地であり、メルボルンクラブは、あまりお上品な紳士倶楽部ではなく、酒を飲んでは酔っぱらってケンカをするようなクラブであった。1851年にビクトリアでゴールドラッシュが始まり、メルボルンが急速に拡大するとメルボルンクラブも順調に発展していった。



 1901年にメルボルンは、オーストラリア連邦国家の首都になった。国会議事堂(現州議事堂)からすぐ近くのメルボルンクラブに国会議員が集まり、議論を交わした。太平洋戦争の際にも、メルボルンは臨時首都となったが、その際にもメルボルンクラブが果たした役割は大きい。


 メルボルンクラブ
住所:36-50 Collins Street
建築年:1858年
建築家:Leonard Terry
建築期:ビクトリアン
建築様式:ルネッサンスリバイバル
Walking Melbourne

レオナルドテリーは、1800年代後半にメルボルンで活躍した建築家。多くの建築物がメルボルン市内に点在している。
Walking Melbourne

ビクトリア州遺産








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