シティ案内

今日の一枚へ

ジャズフェスティバルトップ

プロムナード

クラウン ジャズ

メルボルン百景トップ


2007年5月8日(火)
メルボルン ジャズ インターナショナル フェスティバル
Melbourne Jass International Festival
クラウンカジノ プロムナード
サウスバンク メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今日は、久しぶりに一面の青空が戻ってきました。若干の薄い雲があったので、すみきった快晴ではありませんでしたが、良い天気でした。気温も、22度くらいまであがりました。しかし朝は、12度と少し気温が下がりました。

昨年の今日2006年5月7日

(画像が出ない場合は、最新情報に更新のボタンをクリック)

Oderquis Reve and Afro Timba feat. Kenny Lopez
メルボルン ジャズ インターナショナル フェスティバル クラウンカジノ プロムナードにも特設舞台が設けられています。
キューバのラテンバンドです。ジャズフェスティバルと言ってもいろんなジャンルのアーティストが参加しています。乗りのいい曲目で観客も楽しんでいます。

公式web

Art Centre Hamer Hall
The Palms at Crown
Federation Square
Freestages (入場無料です。)
Bennetts Lane


この地区をサウスバンク(Southbank)と言います。ヤラ川の南河岸という意味です。同様に北側をノースバンク(North Bank)といいます。昔は、サウスメルボルン(South Melbourne)の一部でした。1835年の英国人の定住以前は、アボリジニの種族が住んでいるいくつかの沼地でした。ポートメルボルンには英国など欧州からの移民を受け入れるステーションピアがあり、フリンダース駅とのあいだを豪州最初の鉄道、サンドリッジ線が走っていました。サウスメルボルンは、ポートメルボルンとフリンダース駅の中間にあり、英国、欧州からの輸入品を原料とする工場地帯、製品を入れておく倉庫地帯、またヤラ川をさかのぼって来る船の船着場として栄えました。かなりの大型船も入ってきています。主に1860年代から1920年にかけてメルボルンが最も栄えた時代に建設が進みました。


サウスメルボルンは、ポートメルボルンと共にメルボルン港の一部として栄え、主に港湾労働者、軽工業工場の労働者が住む低所得者層の町でした。1910年代以降にメルボルンを襲った不況の為、サウスメルボルンも大きな被害を受けます。更に次々とステーションピアから入ってくる貧しい移民も定住したために、街はスラム化したのです。サウスメルボルンには組織暴力、麻薬、売春宿などがはびこる地帯となったのです。
メルボルン市当局が近代化を積極的に推進し始めたのは1990年代のことです。サウスバンクを中心として近代的な超高層ビルが建設され、ビクトリア州美術館NGV(National Gallery of Victora)などの文化設備が整備されました。スペンサー橋周辺にはメルボルン国際会議場、展示会場が建設され、1997年にクラウンカジノが建設されました。

 正面の右奥は、キング橋。

ことしで創立10周年記念を迎えるクラウンカジノは、サウスメルボルン、サウスバンクの再開発の象徴なのです。
その後、セントキルダ通りからサウスゲートにかけてたくさんの高層アパートが建設されました。2006年にはユーレカタワーが完成。クラウンカジノの隣にもセンチュリオンアパートを始めとして3つの近代的なアパートが建っています。サウスバンク地区の開発が完了した今、南側に隣接したのドックランズ地区の開発が本格化しています。
クラウンカジノトップ

サウスバンクトップ

このページのトップへ

inserted by FC2 system