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タスマニア号とサンドリッジ

<ステーション ピア Station Pier>

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2006年9月24日(日)へ
16時30分
ステーション ピア Station Pier
ポートメルボルン Port Melbourne
Melway 2J- A6

今朝は雲はそこそこあるものの、日差しも明るくお天気と言っていい朝でした。お昼くらいから曇ってきて午後1時頃は、風もかなり強く横殴りの雨が激しく降ってました。それも2時頃には上がり、3時半くらいからはまた晴れの天気が戻ってきました。
正面の桟橋をステーションピアと言います。メルボルンの湾全体は、ポートフィリップ(Port Philip)と言いますが、この辺りの浅瀬の海をホブソンズベイ(Hobsons Bay)といいます。正面の灯台は、Light Beaconです。この辺りをBeacon Cove(入り江)というのはその為です。

昨日までの画像
↓この下に追加画像があります。

ステーションピアの税関(Customes Gate)
1851年7月にメルボルン(ビクトリア)は、NSW(シドニー)から独立して、ビクトリア植民地(Colony)となりました。同じ年の同じ月に最初の金が発見され、ゴールドラッシュが始まりました。タスマニアのビジネスマン、ジョンバットマン(John Batman)がメルボルンに来るまでは人口は、ゼロ。1836年177人、1840年10,000人、1851年に29,000人であったのがゴールドラッシュの最盛期1854年には30万人に増えています。この地をサンドリッジ(Sandridge 今ではポートメルボルン Port Melbourne)といいますが、この沖のホブソンズベイに、何十隻の帆船が遠くヨーロッパから、中国などアジア各地からバス海峡の荒波を越えてやってきまて、ホブソンズベイに停泊していました。ヤラ川は、狭くて浅いために、大型船が遡れなかったのです。数千人の金鉱堀と数千トンの貨物を積んできたのです。金 ゴールドの持つ恐ろしさが判ります。

スピリットオブタスマニア号(Spirit of Tasmania)
ところが当時は、小船に帆船からの荷物や人を積み替え、更にサンドリッジの浜辺で降ろすしか方法がありませんでした。それは非常な時間がかかり、危険であったのと同時に恐ろしく高価についたのです。そこでHobson's Bay Railway Companyが設立され豪州最初の鉄道が1853年に建設が開始され1854年に完成しました。ステーションピア駅からシティの新しい駅フリンダースストリート駅(Flindars Street Station) までです。当時はこの桟橋の中まで、鉄道が入ってきていました。この桟橋は、最初はRailway Pierと呼ばれていました。
ゴールドラッシュがこのステーションピアと豪州最初の鉄道をフリンダース駅まで作ったことがわかりました。言い換えればメルボルンの歴史を作ったのはゴールドラッシュとこのステーションピアだったのです。ゴールドラッシュが終わってもステーションピアの役目は更に続きます。


臨時停泊のヨット。ここはヨットハーバーではありません。どこか遠くの港からやってきて今晩はここに停泊するのでしょう。豪州は移民の国です。その移民の大半は船で移民してきたのです。豪州側の最大の受け入れ設備はここメルボルンのステーションピアだったのです。第一次世界大戦で、ヨーロッパの多くの国が戦火に巻かれました。イタリア、ギリシャ、マルタ、バルカン半島、東ヨーロッパから多くの難民が船により逃れてきました。また逆に第一次大戦には多くの豪州及びNZの兵隊をこの地からヨーロッパへ送り出しています。19世紀(1800年代)の帆船は、構造上大型化することは出来ず、また強度不足のために、バス海峡の荒波を踏破できずに多くの船がグレートオーシャンロードやキングアイランドの海で座礁、沈没していきました。それでも多くの帆船がこの桟橋に停泊していました。毎週の様に次々と外洋船が入ってきて数千トンの物資や人を運んできました。

夕方の景色を楽しむ熟年夫婦

1945年に第二次大戦が終わると更に多くの移民がこのステーションピアに入ってくるようになりました。大きな戦乱があると増加したのです。航空機が輸送の主役を占めるようになったのはまだこの20年ほどです。
今ではステーションピアは、タスマニア号の港として有名ですが、それでも年にたくさんの外洋船が入ってきます。外洋貨物輸送は、完全にコンテナ船に主力が移っています。メルボルンのコンテナ港(フッツクレー)は豪州最大です。
ステーションピアに入ってくる船を修理する場所がヤラ川川畔のドックランド(Dockland)です。
ステーションピア公式Web

Spirit of Tasmania公式Web

移民博物館

サイクリングの途中の女性。今日は雨も降ったせいでかなり冷え込んでます。しっかり着こんでいる様子です。

現在、豪州の人口は2000万人です。いまでは豪州生まれの数が移民の数を上回ってます。しかし先住民族アボリジニを除くと、全員が移民及びその子孫なのです。そして数パーセントの飛行機でやってきた人を除くとほぼ全員と言っていい数の人が船でやってき、した。豪州最大であったこのステーションピアの果たした役割がいかに大きいかがわかります。
現在のメルボルンっ子でこれらの事実を正確に知っている人は限られています。メルボルンっ子があまり歴史に興味がないのはちょっと残念ですが。

海岸沿いのマンション群。ガーデンシティと言います。メルボルンにしては・・・。
Beacon Coveの方がよほど気が利いていると思います。
このビルの向こう側(内陸側)にもう一台の灯台があります。何故、内陸に灯台があるかの理由ですが、トップの画像の灯台と関係があります。このホブソンズベイは非常に浅いので座礁の危険性が高いのです。そこで沖から入ってくる船は、内陸の灯台と沖の灯台が出すふたつの光がぴったりひとつに見える方向に向かって入ってくれば座礁しないのです。これをリーディングライト(Leading Light)と言います。ヨットマンならば誰でも知っている基礎知識です。



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