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バナナアレイ倉庫群 Banana Alley Vaults

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2016年3月5日(土)
バナナアレイ倉庫 
Banana Alley Vaults
フリンダース駅 Flinders Street Station
フリンダース通り Flinders Street
メルボルン Melbourne
この地区の地図Googole Map

バナナアレイ倉庫は、フリンダース駅西口駅舎の西側にある建築物である。屋根上にはプラットフォームも位置する。フリンダース駅とスペンサー駅(現サザンクロス駅)を結ぶヴィアダクトと呼ばれる高架線路を建設する過程で作られた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/250 F10.0 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2016年1月17日18:19 板屋雅博撮影


 バナナアレイは1891年から1892年にかけて建築され、当時はヴィアダクトビルディングと呼ばれたバナナアレイの上を走るフリンダース通り高架線路( viaduct)と同時に建設された。鉄道高架線路のエリザベス通りとマーケット通りの区間はビクトリア鉄道主任技師William Henry Greeneが設計し、1891年から1892年に建設された。バナナアレイ倉庫には天井部にアーチが築かれ、屋根の上を走る列車の振動を支えていた。

 ヴィアダクト Viaduct

  バナナアレイ店舗群は製品加工業者や果物商が市場に商品を出荷する倉庫や加工場として使われた。NSWやクインズランド、フィジーなどから輸送船で運ばれてきたバナナがヤラ川を遡ってクインズ岸壁で陸揚げされ、バナナアレイで貯蔵され、販売される前にエチレンガスを使って熟されたことに由来する。バナナアレイのすぐ北側にはウェスタンマーケット市場があった。
倉庫は33室の洞窟状の小部屋に分けられて賃貸され、最初のテナントは1893年に入居したと記録されている。すぐに倉庫群はウェスタンマーケットに商品を供給する野菜卸商の倉庫となった。マーケット通りに名を残すウェスタンマーケットはメルボルンの最初の生鮮市場であった。



  1930年にスペンサー通り橋が建設されると大型の貨物船はヤラ川を遡上することができなくなり、バナナアレイの直ぐ後ろのヤラ川河岸にあるクイーン岸壁には接岸できなくなった。従ってバナナアレイ倉庫群は使用されなくなった。1936年に倉庫のひとつで喫茶店がオープンした。1950年代にピエテリア(Pieteria)と云う名前でパイで有名な24時間営業の喫茶店が出来た。ハーンズの趣味の店(Hearnes Hobbies)は1946年にオープンし、現在のフリンダース駅の地下の店舗に移転するまではバナナアレイ倉庫店舗のひとつに入居していた。
いくつかの倉庫は、新聞販売エージェントが配達拠点として使用していた。またビクトリア鉄道の車内販売用品の貯蔵倉庫として使われていた。


 その後倉庫群は長い間、使用されずに忘れられていた。1970年代、80年代には不吉なうわさも流れていた。メルボルンの寒い冬にはホームレスの人々の隠れ家となった。暴力沙汰や殺人事件も発生した。
1987年、州政府はビクトリア州観光業の促進のため、450万ドルのバナナアレイ倉庫群の再開発計画を実行した。呼び物はビクトリアワイン産業連盟が「ワインビクトリア」本部とワイン博物館を開設した。開設後わずか2年で閉店した。他の店舗も次々と空室となっていった。


 更に時代が流れ、この地区はメルボルンビジネス地区のヤラ川ノースバンクの残された再開発中心地のひとつとなった。
現在、バナナアレイでは各種のビジネスが展開されている。プラットフォームナイトクラブ(Platform One Nightclub)は、格闘技の施設である。床屋やドハーディジムもある。


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