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第五番バース岸壁 Berth No.5 North Wharf

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2015年6月17日(水)
第五番岸壁と商品倉庫
Berth No.5 North Wharf
ノースバンク Northbank
メルボルン Melbourne
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メルボルンの新しい観光地サウスワーフの対岸に第五番岸壁と商品倉庫がある。メルボルンの発祥の地となるメルボルンヤラ川河畔港を彷彿とさせる港の姿を現在に残している。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/200 F7.1 ISO感度 100 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月16日13:08 板屋雅博撮影

駐:サバーブとしてはドックランズであるがメルボルン百景の分類ではノースバンクとする。 ノースバンク



第五番岸壁は、船舶用岸壁、コンクリート製と木製の岸壁、エプロン(港湾施設から岸壁に突き出した領域で、停泊した船と貨物の積み降ろしをする場所)、鉄鋼で骨組みされた貨物倉庫、電動移動式クレーンなどの設備が設置されている。
この地区は、メルボルンのゴールドラッシュ期である1855年から国内貨物を主に取り扱う岸壁であった。現在の諸設備は第二次大戦後に作られたものである。アスファルト舗装された岸壁道路の下には初期のブルーストーン石材の舗装が存在している。電動移動式クレーンは1948年にメルボルンのマルコムムーア社(Malcolm Moore Limited)によって設計され製造された。
貨物倉庫の鋼鉄製の構造物はメルボルンの鉄鋼会社チャールズウォルト社( Charles Ruwolt Pty Ltd)が組立した。



 第五番岸壁は、1975年すぐ下流にチャールズグリム橋が出来て大型船の航行が出来なくなった為に、無用の岸壁となった。

第五番岸壁は、ポートメルボルン地区の第二次大戦後で、コンテナ船時代以前の船舶用岸壁の当時のままの姿を残している。貨物岸壁として使用されなくなって以降、ほとんど変化がない。電動移動式クレーンの初期の型式がそのまま残っているのも非常に珍しい。コンテナ船時代以前の貨物処理方法がはっきりと理解できる。第五番岸壁と貨物倉庫、マルコムムーア製クレーンはポートメルボルン地区の当時の状況を良く理解できる。マルコムムーア製岸壁貨物クレーンは玄関口用途として使用され水平稼働が出来る移動式一般貨物用クレーンでありヤラ川が港として使用された時代のランドマークであった。メルボルンの機械メーカーであるマルコム社の歴史的遺産でもある。



 第五番岸壁は、ポートメルボルン地区で唯一残っている完全な伝統的非コンテナ式港湾施設である。メルボルンは1835年に歴史が始まってからヤラ川を最初の港として使用していたが、第五番岸壁は、ヤラ川の市の中心部に近い場所にありその当時を彷彿させる遺跡である。

マルコムムーア社を創業したのはマルコム・スチュアート・ムーアである。メルボルン大学で都市工学を学び、第一次大戦中は英国のエンジニアリング会社で技術課長として働いた。戦後、メルボルンに戻り1921年にエンジニアリング事務所マルコムムーア社を設立した。1927年にポートメルボルンのウィリアムタウンロードに同社の製造センターを設立した。支店が各州の州都に開設された。


 当時は豪州の産業が各分野で著しく進展した時代であり、生産性の向上が各産業で強く要求された。マルコムムーアは貨物や商品の取り扱いをする産業機械と生産設備の分野に自社を特化させた。1958年にマルコムムーアはリタイアして、その後は教育分野に資産を投入し、慈善事業家となった。

チャールズウォルト社( Charles Ruwolt Pty Ltd)は、ドイツからの移民Charles Ernest Ruwoltが設立した会社である。チャールズウォルトは、5歳の時に家族と若いころからウォルトはビクトリアの各地でエンジニアリングや鋳物工場に勤務した。ウォルトは1902年に鋳物工場をワランガッタで設立した。1908年には金鉱山の掘削設備のメーカーとなり、製品は豪州中で使われ東南アジアへも輸出された。

  1912年にメルボルンのリッチモンドで機械と鋳物の工場を建設し、一般鉱山機械と設備の会社となった。1922年には広い範囲の産業機械のメーカーとなっていった。1940年頃にはチャールズウォルト社は豪州最大クラスのエンジニアリング会社となった。
ウォルトは第二次大戦後の1946年に他界し、チャールズウォルト社は1948年に英国のヴィッカーズ社に買収されヴィッカーズウォルト社(Vickers Ruwolt Pty Limited)となった。
第五番岸壁の貨物倉庫を作った頃のチャールズウォルト社は豪州最大級の会社として全盛期であり、英国のヴィッカーズ社に買収され名前を変える前の最後の時期の作品である。

左側の建物はサウスワーフのヒルトンホテル。

サウスワーフ

 右側の建物は船員教会
 Mission to Seafarers

 Eheritage

 Onmydoorstep

 Sydney Morning Herald


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