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ロバ―・ティーハウス Robur Tea Building Teahouse 高圧式エレベーター


2022年6月26日(日)  従来版
ティーハウス 
Robur Tea Building Teahouse
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

ロバ―紅茶ビルは、建築に際して、当時としてはいくつかの革新的な技術を採用している点で注目に値する。最も特徴的な点は、立地上の建物の基礎部分の問題を解決している点である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 2.8 1/2500秒 ISO感度100 露出補正-1/3 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅8年1月18日 9:02

当時、この場所は、沼地であり、土地の所有者は建物の大きさが現実的でないと専門家によって指摘を受けていた。建築構造技術者のジョン・ガーディナー(John Grainger)が担当することになり、6階建てのビルを支持する為に、450本もの大量のユーカリの木のパイル(ronbark piles)とコンクリート浮き基礎:(浮揚性を持つように設計したコンクリート強化のいかだ基礎)システムを考案した。画期的な解決策で、当時比較される建物は存在せず、その後も第二次大戦後まで建設されなかった。各階を支える為に鋼鉄製の桁材が使用されたが、これもビクトリアでは最も早い事例であった。技術革新は、建築家で構造施術者のジョン・ガーデナーの貢献であり、数名の著名な建築家パートナーのサポートもあった。

プリンセス橋、セール(Sale)のラトローブ川(La Trobe River)にかかるスウィング式架橋、メルボルン・タウンホールの事務所棟、エリザベスハウス(Elizabeth House )、コリンズハウス(Collins House)、イーストメルボルンのクリベデンマンション(Cliveden Mansions)の改築(conversion)などにも活かされている。メルボルンの19世紀に於ける倉庫ウェアハウスの最も貴重な事例であり建築学的にも重要なものである。何年もの間、ロバ―・ティーハウスビルはCBD以外で最も高いビルであった。その高さと単独で建っている姿から今日でもサウスメルボルンのランドマークであった。


ロバ―・ティーハウスビルは1890年代の不況期からエドワード期に至る40年に渡って活躍したメルボルンの著名建築家であるナーハム・バーネットの代表作のひとつである。Auditorium Building、 Paton Building、コリンズ通りとエリザベス通りの交差点にあるDavison Building 、イーストメルボルンのVilla Chandos、セントキルダのFlorida Mansions、Toorak Road Synagogueなど。



この建物は、当初は文具商(stationer)のFergus and Mitchell社の倉庫兼工場として建てられ、現在、メルボルン都心部で工場が残っている例は少ない。後に紅茶やコーヒーの倉庫として使われた。この辺りは一時期は港の波止場であり、大きな船が着岸して荷揚げした貨物を取り扱う倉庫街であった。


ロバ―・ティーハウスは、19世紀の高層ビルであり、電気が普及していない時代に高層化を可能にした水圧式エレベーター(hydraulic lifts)の痕跡が残っている。メルボルン水圧動力会社(Melbourne Hydraulic Power Company)の本管があった。
この場所は、1842年に操業したメルボルン最初の鋳物業者の後継会社ラングランド&フルトン鋳物会社(Langlands and Fulton foundry companies)との重要な関連がある。


1889年、メルボルンは、公的水圧式動力供給(public hydraulic power utility.)を持つ世界で4番目の都市になった。高圧水の本管がメルボルン都心部CBDと近隣のサウスメルボルンとノースメルボルンの地下を配管が設置されており、便利で効率的な集中型の動力が一般供給されていた。水圧動力は商品や人員輸送エレベーター、羊毛プレス機器、クレーンなどに利用されていた。
エレベーターは、一般的な4-5階建てよりも更に高いビルの建築を可能にした。ビクトリアドック(Victoria Dock)の近くに中央ポンプステーション( centralised pumping station)があり、エレベーターに高圧水を供給した。高圧水は、メルボルンCBDの地下に設置された合計11kmに及ぶ水路ネットワークを通じてシティのビルに供給された。

水圧式動力の設備とシステムは英国で開発され、ハル市、ロンドン、リバプールで1876年から85年にかけて公共用に利用された。1888年にメルボルン水圧動力会社は設立された。当初は独占的な動力会社として利用されたが、電力が照明と動力として1900年から利用が始まって、競争が始まった。スウィンバーン大学創設者George Swinburneは、1897年まで技術者で責任者であった。
メルボルン水圧動力会社は、ビクトリア政府議会の特別法によって運営された公営企業である。同法の規定により1925年に同社の資産とビジネスはメルボルン市当局に移管され、1967年まで運営された。



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