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オーストラリア移民局 Department of Immigration and Citizenship

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2013年6月4日(火)
オーストラリア移民局
Department of Immigration and Citizenship
スプリング通り
Spring Street
メルボルン Melbourne
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メルボルンに長期滞在したことがある人は、一度は訪れたことがあるのがこのオーストラリア移民局のメルボルン事務所。かなり長時間待たされることも多い。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/1250 F3.5 ISO感度 200 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月18日10:55 板屋雅博撮影

  オーストラリアは連邦制を取っている。連邦政府の権限は、国防、外交、通商、租税、通貨、移民に憲法によって限られている。教育、法務、文部科学、農林水産、経済などの分野は、ビクトリア、タスマニアなどの州政府が握っている。
連邦政府にとって現実的に一番、大切な業務が移民である。もちろん豪州へ入ってくる移民のこと。原住民アボリジニも51,000年前に豪州へ移民してきており、全ての豪州人が移民と移民の子孫である。1945年以降、7百万人以上が移民している。1945年から1960年に160万人。1960年代に130万人、1970年代に96万人、1980年代に110万人、1990年代に90万人、2000年代に90万人が移民している。2013年に豪州の人口は、2300万人を越えたが4人にひとりの豪州人は海外生まれである。

  1901年に英国植民地から独立して豪州連邦を設立した。同年に移民制限法(Immigration Restriction Act 1901)が成立。いわゆる白豪主義の時代に入った。先住民族アボリジニに対する差別だけでなく、アジア人などへの差別的な政策が多く実施された。特に1920年からはアボリジニの子供たちを親から引き離す人種隔離政策も実施された。
豪州謝罪の日(メル百)
第二次大戦後には、白豪主義は大幅に変化していったが、最終的には1973年の「移民法」「オーストラリア市民憲法」の改正、1975年の「人種差別禁止法」制定によって完全に表面からは姿を消した。

豪州の周りにはアジアや太平洋の低所得の国々が存在し、多くの不法ボート移民が豪州を目指してやってくる。そのため移民拘留センター(Immigration Detention Centre)が豪州移民局の管轄下で設置された。

メルボルン Maribyrnong (1966年)
シドニーVillawood(1976)
パース(1981)
クリスマス島Christmas Island 2001)
ダーウィン Wickham Point (2011)
WA Curtin (2010)
クインズランドScherger (2010)
WA Yongah Hill (2012)

近年、最も頻繁にマスコミに登場するディテンションセンターは、クリスマスアイランド。インドネシアやスリランカなどからのボート不法移民を収容している。



 メルボルンのディテンションセンターには、ビザが切れた又はビザ発給条件違反のためビザが停止、剥奪されたにも関わらず滞在続けた人々、航空機や海洋からの不法移民を企てた人々などが収容されている。
スプリング通りにある移民局の住所は
2 Lonsdale Streetのビクトリア州政府事務所の中に位置している。

ビクトリア州政府事務所

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