2015年10月22日(土)
懸架式ウォータータンク 水貯蔵タンク
overhead water tank
Spencer Street Power Station
スペンサー通り Spencer Stと
ロンズデール通り Lonsdale Stの交差点
メルボルン Melbourne
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メルボルンにまだ電気がない時代に水圧式エレベーターやクレーンがあった。水圧を利用して近代化を進めたメルボルンの偉大な歴史だ。この水貯蔵タンクは水圧の時代がが本当にあったことを示すすばらしい産業遺産である。
撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/2000 F2.8 ISO感度 250 オート 露出補正 JPG
レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2015年1月24日15:27 板屋雅博撮影
旧スペンサーストリート発電所に設置されている水貯蔵タンクはプレハブ式鋳物鋳鉄製水貯蔵タンクであり、1889年に英国ゲートヘッド(Gateshead)市のJ
アボット社(J. Abbot and Co)が第一水圧動力式ポンプステーション用に製造した2台の水貯蔵タンクのひとつ。ポンプステーションはヤラ川のノースバンクにあるフリンダース通り延長道路にあるオーストラリアン岸壁に隣接する場所にあった。水貯蔵タンクは、第一ポンプステーションから移設されて、能力は削減されたが1927年に現在の場所で再利用された。これはメルボルン市当局のスペンサー発電所での水力動力供給を統合する計画の一環であった。水貯蔵タンクの能力は、当初の第一ポンプステーションの時には115,000ガロンであったが、スペンサー発電所で必要性が減じた為、58000ガロンに削減された
水貯蔵タンクは、事前組立タイプであるプレハブ式鋳物パネル( prefabricated cast iron panels)を一連の固定用金属棒(series
tie rods)を使って固定して作られており、鉄鋼フレームの足場を組んで、路地の上部に懸架されている。水貯蔵タンクは14枚のパネルを長軸方向に使っていて、長さは約17mで横方向には5枚のパネルで約6mである。タンクの横川はパネル2枚分の高さである。内部はおおざっぱに云うと3つの同じ広さの部分に分かれている。多くのパイプとバルブがタンクの機能に沿って配置されており、まだ現存している。また地上部分には内部に貯蔵される水の供給と処理後の高い圧力の水の配給の為に使われる一連のバルブが設置されている。
水貯蔵タンクは、メルボルン中心部やサウスメルボルンやケンジントン地区での水圧式エレベーターやクレーンを駆動するための水圧式動力システムに高圧水を供給する目的であった。メルボルンで電気の供給が始まったのはスペンサー通り発電所が稼働する1892年のことであるが、その前に水力を動力源とするシステムが存在した。
メルボルンは公共用水圧式動力システムを実用化した英国以外では最初の都市であり、シドニーが二番目であった。第一水圧動力ポンプ工場のふたつのタンクの大きい方はヤラ側のデイツの滝など上流から流れてくる川水を受ける為のもので、その後の調整された水を小さい方のタンクに供給してポンプ式エンジンを駆動する有効な水量を確保している。
スペンサーストリート発電所に移設されたのは大きい方の水貯蔵タンクであり、二台のトンプソン高圧ポンプへ重力落下式に水を供給した。水力動力の使用が減退したために、水力動力の供給は1967年12月31日に停止された。懸架式ウォータータンクは1889年から1967年までの間、水圧動力をメルボルン市に供給したシステムの唯一の残存物である。またメルボルン水力動力会社(Hydraulic
Power Company)の第一ポンプステーションの唯一の残存物でもある。同様の例がウェリビーの下水処理場(Werribee Sewerage
Treatment Plant)のタンクはかつてイースタンヒルの水供給タンクであった。プレハブの鋳物タンクはヤラビルのCSRのパンハウス(Pan
House)にもある。
1887年ジョージスウィンバン(George Swinburne)など4名の技術者や企業家がメルボルン水力動力会社を設立した。スウィンバンは、もちろんスウィンバン大学の創設者である。1890年までにメルボルン市内に10数kmの高圧水の水道管を張り巡らし西オーストラリアン岸壁のポンプステーションから高圧水を供給した。メルボルンで始まった高層ビルの建築物に水圧式エレベーターの水圧動力を供給した。
Melbourne Hydraulic Power Company
overhead water tank
Walking Melbourne
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