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ロンズデール通り

スワンストン通り北部

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2007年3月4日(日) 午後4時30分(今日の一枚へ戻る
QVショッピングセンター前
スワンストン通り(Swanston Street)とロンズデール通り(Lonsdale Street)の交差点
Melway 1B−N3
メルボルン Melbourne
スワンストン通り北部の地図 Google Map


今日は一日中、晴れたり曇ったりの一日でした。気温は、30度弱で涼しい風が流れていました。しかし晴れると日差しは、まだまだ強烈です。湿度は低いため、過ごし易い一日でした。
メルボルンは、もうF1グランプリ一色です。街のいたるところにグランプリのノボリが上がっています。

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 QV前からロンズデール通りを西方面へ見る。正面に見えているのは、Myerデパート。
スワンストン通りの名前は、Charles Swanstonに由来します。スワンストンは英国に1789年に生まれ16歳で、英国東インド会社の軍隊に入隊しました。東インド会社は、資本金もあり、株主もある会社ですが、私有軍隊を持ち、外交権、戦争権を持つ英国本国の海外侵略の尖兵でした。映画『カリブ海の海賊』に出てくる英国東インド会社そのものです。スワンストンは、アフリカ、インドなどの侵略戦争に長く従事した後、1828年に家族と共に当時は、バンディーメンズランドと呼ばれたタスマニアに移住してきました。既に裕福で知名人あったスワンストンは、3000エーカー(12平方km)の土地を購入し、現地の銀行の頭取に就任しました。

 交差点の北西コーナーからスワンストン通りを南方面を見る。
スワンストンは、当時の先進的な金融システムを導入し、またインドでの知人の英国人から多くの投資資金を集め、タスマニアの開発に投資を開始しました。そして最も大きな投資計画がPort Phillip Associationと呼ばれる事業体です。当時の未開発地域であった将来のビクトリア州、ジーロン(Geelong)、メルボルンを含む60万エーカー(2400平方km)の広大な土地をアボリジニから購入し、開発しようというものです。銀行家スワンストンを中心に、計画の実行者としてJohn Batmanなど合計15人の投資家です。その後は、John Batman参照。メルボルンは、このPort Phillip Associationという非合法団体が出発点なのです。他の州とはまったく違った生い立ちが後々、いろんな違いとなって現れます。

 交差点北東コーナーから南東方面を見る。
1844年には、ジーロンでビジネスを開始し、15万エーカー(600平方km)の土地を所有しました。しかしながら投資し過ぎがたたり1840年代の不景気でジーロンの羊毛の価格が下がり、借金で購入した土地の代金が支払えなくなり、銀行そのものも倒産してしまいました。結局、多額の借金を抱えたスワンストンは、1850年にアメリカへ向けて逃げるようにして出国しました。ゴールドラッシュが始まる1年前です。しかしアメリカに到着してまもなく病死しています。
John Batmanと同じく非業の死を遂げています。

伝記集 Charles Swanston

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