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2006年11月25日(土)へ 11時30分
バットマン公園(Batman Park)のクリスマスプレゼント
ノースバンク(Northbank)
Melbourne
Melway 1A−B11
この地域の地図 Google Map

天気予報では晴れ25℃の予報が、一転してくもりで肌寒い一日でした。午前中は、まだ薄曇りで、ところどころ晴れ間もありました。午後からは厚い雲に覆われました。どうせならば雨が降って欲しいところです。

昨日までの画像
↓この下に追加画像があります。

バットマン公園(Batman Park)
クラウンカジノの対岸をノースバンク(North Bank)と言います。観光としてはメルボルン水族館があるくらいですが、落ち着いた公園や水辺のテラスが続きます。クラウンカジノで疲れたら、ノースバンクを歩くのが良いでしょう。
メルボルンでは、現在、ステージ2の水の使用制限が出ています。居住者用や会社、スポーツ用の芝生には水を撒いてはいけません。(クリケット場、ゴルフ場のグリーンは除く。)洗車の場合は、ホースを使ってはいけません。バケツで手洗い又は洗車会社はOK。
庭の草木には、地域別に一日置きに可能です。それも朝6時〜8時、夜8時から10時。
2007年1月より、罰金として$322が発見され次第、課せられます。
メルボルン市の案内
Only Melbourne

ヘリコプター乗り場
バットマン公園(Batman Park)は、探検家ジョンバットマンJohn Batmanに由来します。メルボルンを一番最初に建設した人物にも関わらずメルボルンではほとんど無視されています。かなりの問題児であったようです。ジョンバットマンは、シドニーの郊外のパラマッタ(Parramatta)の生まれです。その後、当時はバンディーメンズランド(Van Diemen's Land 参照)と呼ばれたタスマニア(Tasmania)で農場を始めました。タスマニアは、1642年11月24日に、オランダ人の探検家アベル タスマン(Abel Tasman)によって発見されました。1803年にイギリス人が殖民を開始しました。ナポレオン戦争が終わり、イギリスでは羊毛の需要が拡大しました。タスマニアの人口は1830年には23,000人に達し、羊の数は100万頭に達しました。イギリス人達は、徐々に土地を拡大しアボリジニと衝突するようになりました。

サンタさんは子供達の人気物です。サンタさんから直接プレゼントをもらえます。

1825年頃から衝突は激しくなり双方に死傷者が続出する事態となりました。1828年にタスマニア植民地政府の副総督のジョージアーサー(George Arthur)は、アボリジニを射殺しても起訴されないという法律を作りました。そして植民地政府はアボリジニの虐殺を開始しました。ブラックライン(Black Line)と呼ばれる徹底した虐殺を繰り返したのです。なんとジョンバットマンはこの虐殺隊の数回を指揮した人物なのです。植民地政府はジョンバットマンの功績を認めて、2000エーカーの土地を与えました。この結果、1850年までにタスマニアのアボリジニはほぼ全滅したのです。

最後のタスマニア人の戦い
Sydney Line

クリスマスを楽しむ家族。
金を得たジョンバットマンは、更に土地の所有を増やすことを目的に、1835年5月29日ににレベッカ号(Schooner Rebecca)に乗ってメルボルンの湾であるPort Phillipに入ってきました。シドニーから5名のアボリジニを通訳として連れてきています。湾の大部分を探検した後、ジーロン方面から探検しながら最後にヤラ川に達しました。1835年6月6日ジョンバットマンは、メルボルンの原住民族アボリジニの1部族ウルンジェリ(Wurundjeri)からメルボルンを含む広大な土地の購入しました。しかしそのやり方は、ほとんど詐欺同然のやり方でした。それをバットマンの契約(Batman's Treaty)と言います。この契約は、シドニーのNSW総督リチャードバークによって非合法と認定されました。その理由は、全ての土地はイギリス王家のものであるからです。
The Story of Batman's Treaty
Only Melbourne

ジョンバットマンは38歳でメルボルンで亡くなりました。晩年はあまり幸せではなかったようです。皮肉なことに最後は、アボリジニに世話されたということです。
1835年の一時期、メルボルンは、バットマニア(Batmaia)という名前でした。
実にこれがメルボルンの建設の歴史なのです。

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