撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞り 4.5 1/250秒 ISO感度400 露出補正
オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2012年3月15日
路地はメルボルンの歴史遺産のインフラであり、法や行政やデザインガイドによって守られている。過去、地元の行政がブルーストーンや敷石を剥がしてアスファルト舗装しようとした際に、愛好家たちが大反対した。メルボルンのブルーストーンを考えるとき、ペントリッジ刑務所、愛情をこめて(affectionately)ブルーストーンカレッジとして知られる、ラッセル通りのメルボルン監獄を思い浮かべる。エレガントなゴシック様式のセントパトリック教会(Patrick’s
Cathedral)、残酷なモダニズムのビクトリア州立美術館(National Gallery of Victoria)、セントキルダ通りを数ブロック行くと、ビクトリア・バラックがあり、秋には真っ赤なボストン、アイビーで彩られる。
ジェームス・ゴーバン(James Govan)は、1870年代にフッツクレイの初期の石切り場を始めた。Summerhill RoadとEssex
Streetの交差点の近くに二階建てのブルーストーン製の建物を建てた。1917年頃には石切り場は、同2道路と, Market道路と Graham
Streets道路の1ブロックに広がった。1918年には、6000ヤード(5400立米)の石材を一日75立法ヤード(0.9立米)の速度で生産をフッツクレイトラム会社(Footscray
Tramway Trust)と契約した。ゴーバンの建物は現在も残っている。建物のブルーストーンは、立地している石切り場で採られたものだ。
19世紀と20世紀にブルーストーンは主要な建物の建築材料であったが、基礎材として使用された。州議事堂(Parliament House :1855),、メルボルン監獄(old
Treasury Building :1858), (Melbourne Town Hall :1867),、セントポール大聖堂(St Paul's
Cathedral :1880-1931),、GPO中央郵便局(General Post Office :1861)、フリンダース駅(Flinders
Street Station :1905)である。
19世紀後半には石切り場は、ウィリアムズタウン、コバーグ、プレストンなど西部から北部へ広がった。1920年代には、現在、ビクトリア大学フッツクレイ(Victoria
University Footscray Park)キャンパスがある場所にFootscray Borough Quarryが開発された。ブルーストーン製の建物は、東部地区よりもメルボルン市内中心部や西部で主流であった。これは輸送コストが理由であり、北部や東部では煉瓦が主流であった。初期のブルーストーン石切り場は、不潔で危険で労働集約的であった。エジプトで数千年前に実施された同じプロセスが行われ、石切り労働者は、くさび(wedges)を打ち込んで(hammering)石を広げて、切り出した。
プラグとフェザー式(plug and feather)くさびが石材の自然の割れ目や又は特殊なドリルで穴を開けて打ち込まれた。
プラグ◆石やコンクリートなどにねじがしっかり固定されるように、事前に穴に打ち込む、プラスチックや金属製の穴の空いた埋め物。
建物用に使用される石材は、約35センチm角の大きさで正方形の形をして、石切り場から直接に建設現場に運ばれた。