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リトルミュール Little Mule メルボルンの建材 

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建築材料eMel

メルボルンの建築材料

Langlands foundry

2021年9月23日(木)
リトルミュール Little Mule (responsive)
サマーセットプレイス 
19 Somerset Pace  
メルボルン Melbourne
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メルボルンの建築技術は、豪州の他の部分と同じで19世紀後半に導入された革新的な技術によって支えられた。初期の地元で取れる材料を使った原始的な構造の家屋の後の最も著しい特徴は輸入材木を使用していた事である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞り 4.5 1/250秒 ISO感度400 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2012年3月15日 


 地元でユーカリの良い材木が取れるにも関わらず、メルボルンでは、1850年代まで主に輸入材木を建材として使用した。最初の製材機械は原野ではなく、港湾地区で使用され、その用途は自然の原木をカットするのではなく、主にバルト海沿岸から輸入された原木をバラして処理する事であった。
石材の入手も問題であった。石材は常に最も貴重な建材であったが現地のものは見当たらなかった。石灰岩はモーニントン半島にあったが、建材用としては過度に焼けすぎであった。建材用としては、基礎工事用として使われ、耐久性が問題であった。最初の、20年間は、敷居(sills)、暖炉炉床( hearths), 路床材(steps)、その他の石材は、シドニーやニュージーランドなどからの輸入品に頼った。

  1839年に1層(coarse)だけではあったが、上質の鉄分を含んだ(ferruginous)砂岩がヤラ川河畔のアレクサンダーガーデン公園(Alexandra Gardens)の場所に見つかり、税関(Customs House)、最初の段階のメルボルン刑務所(the Gaol)、セントジェームス教会で使用された。その後、ジョン・パスコ・フォークナー(J.P. Fawkne)がパスコベール(Pascoeville)の所有地にフリーストーン(砂岩など)の石切り場をオープンしたが、ほとんど使用されなかった。花崗岩(Granite)がマウントジェリブランド(Mount Gellibrand )とミルパーク(Mill Park)で見つかった。通常ブルーストーンと呼ばれる玄武岩(Basalt)は、最初は粗野な野積用途(crude rubblework)以外の石材の対象とされなかった。ブルーストーンは、メルボルンの北側から西側に広がっていたが、ほとんどのフリーストーンは、南側から東側に広がっていた。

 ブルーストーンは、硬くて加工が難しく、また表面が暗い(sombre)ので芸術的な表面処理には向かないとされていたので、1840年代までは建物の土台などで使われ、ゴールドラッシュまではいくつかの教会といくつかの商業ビルで使用された程度であった。ゴールドラッシュ期からは一変して前面に出てきた。硬さと扱いにくさ(intractability)にも関わらず、気取った(pretentious)表面加工や、曲線を要求しない建物に普及した。1850年代の人口増加により他の建設資材の値段が高騰し、品質が下落したことも要因である。メルボルンで生産された煉瓦や木材も市場に出始めた。ブルーストーン用倉庫も増加し、その後、漆喰で化粧される用途ではあったが、邸宅にも使用された。イーストメルボルンのビショップコート(Bishopscourt)など。



 植民地議事堂(Parliament House)の建設の際に、ブルーストーン石材に関して、問題点が指摘された。ブルーストーンが第一の選択肢ではなく、英国植民地共通(inter-colonial)の石材の使用が検討された。一時は、イタリアのカラタ大理石(Carrara marble )が一時は検討された。1858年にメルボルンのフリーストーンの検討コンペが開催されたがあまり成功しなかった。バッカスマーシュ産(Bacchus March)のフリーストーンが賞を獲得し、財務省ビルや他の政府建物に使用された。10kmほど離れたダーレーでオープンし議事堂建物の東側や図書館の正面に使用されたが、重大な問題を起こり、それ以後は使用中止された。議事堂の西側正面の建築が1882年に開始され、グランピアンにあるヒーザーリー石切り場(Heatherlie Quarry)のスターウェル(Stawell)石材が使用された。
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  中間期にはメルボルンの多くのフリーストーン建物は、NZのOamaru石灰岩やタスマニアのKangaroo Point、Point Ventenat、Spring Bayの輸入石材が使用された。Sydney's Pyrmontのフリーストーン、ジローン西側のBarraboolの砂岩も少量が使用された。木材や煉瓦建築に技術的進歩がメルボルンやビクトリア全体で進んだ。材木建材の工法のひとつにスタッド枠材(stud frame)がある。間柱(スタッド)とは柱と柱の間に立てられる細い柱のこと。 石膏ボードやサイディングボードなどの壁材を固定する骨組みとなる下地材。 ツーバイフォー工法においては、スタッドは壁面の重要な構造部材のひとつ。従来の枠組み工法に比べて、より軽量化され、統一された桁材が使用され、簡略化されたジョイントが使用され、機械製作された釘が使用された。

 賃金が高くスピードが重視された時代には重要な発明であった。1839年のラトローブ総督の住居の拡張部分に採用されている。スタッド工法が本格的に普及したのは、1900年頃であった。煉瓦建築では、1870年代のメルボルンやビクトリア西中央地区ではもっと早く、空洞壁工法が見られた。煉瓦と薄板べニア材建築が第一次大戦前に一時的なものとして現れ、1930年代に普及した。煉瓦製造では1870年代のホフマン窯の導入で始まった。ホフマン煉瓦でより硬く統一した赤レンガが供給された。




 鋳物業者(ironfounders )のラングランドとフルトン(Langlands and Fulton)は、1842年にメルボルンに移民した。1860年代にはビクトリア様式鋳物装飾学派がメルボルンに出現した。シドニーでは輸入鉄材を使用して鋳物を作っていた。輸入品防止策により、鋳物製構造物もシドニーよりメルボルンが普及していた。原材料は、全て輸入であり、金額差は限定的であった。



 メルボルンの最も高い位置の鉄製枠材や最初の鋼鉄製製品は、1880年代の摩天楼ブームの時代に関係している。摩天楼は、早くて安全なエレベーターの出現があった。米国のオーチス社(Otis of America)と英国のウェイグッド社(Waygood of Britain.)であった。網上の水圧式システム(reticulated hydraulic power system)1889年に導入されたが、当時、世界で最も早いものであった。


 鋼鉄は、1888年以降に導入された。最初の完全な鋼鉄構造を使用したのは、1913年のトンプキンス兄弟(H.W. & F.B. Tompkins)設計のマイヤーデパート(Myer Emporium )であった。当時発明されたばかりの電弧式溶接(electric arc welding)が使用された。20世紀初頭の大きな発明である強化コンクリートの使用でも豪州ではメルボルンが最先端であった。ジョンモナッシュ(John Monash.)が社長を務めるモニアー社(Monier)が先駆者であった。




 メルボルンでの最初の建物は1905年のオリバーレーン(Oliver Lane)に建てられた。モナッシュの特許による独占が続いた。州立図書館(1908-13)には建設協会(Master Builders Association)からの圧力があった。スワンソン兄弟商会が受注してカーンバー( Kahn bar )とトラスコンシステム(Truscon system.)が使用された。州立図書館の近くでは、エンジニアのH.R. Crawfordが設計したSniders & Abrahams building (1908-09)がアメリカのC.A.P. Turner.の平板鋼板システム(flat plate system)が使用された。ウィリアムストリートのスコティッシュハウス(Scottish House)では拡張金属(Expanded metal)が使用され、サウスメルボルンの煉瓦製家屋やBrooklynのボースウィク肉工場(Borthwick's Meat Works)では、ラフトスラブ工法が広く使われている。



 1920年代後半には、平板鋼板(flat plate)やワッフルスラブ(waffle slab)がインズ・ベルシステム(Innes-Bell system)がメルボルンの多くの建築で使用された。1925年にスワンストン通りの英国豪州タバコ(British Australasian Tobacco Building)が崩落する事件が起きて、強化コンクリートを賛美は終わった。
1900年代初頭の電気式リフト、1930年代のエスカレーターとエアコン、1940年代のコンクリート製プレファブ、1950年代のガラス製カーテン壁、1960年代のファブコタワークレーン(Favco tower crane)などがある。

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