鋳物業者(ironfounders )のラングランドとフルトン(Langlands and Fulton)は、1842年にメルボルンに移民した。1860年代にはビクトリア様式鋳物装飾学派がメルボルンに出現した。シドニーでは輸入鉄材を使用して鋳物を作っていた。輸入品防止策により、鋳物製構造物もシドニーよりメルボルンが普及していた。原材料は、全て輸入であり、金額差は限定的であった。
メルボルンの最も高い位置の鉄製枠材や最初の鋼鉄製製品は、1880年代の摩天楼ブームの時代に関係している。摩天楼は、早くて安全なエレベーターの出現があった。米国のオーチス社(Otis
of America)と英国のウェイグッド社(Waygood of Britain.)であった。網上の水圧式システム(reticulated
hydraulic power system)1889年に導入されたが、当時、世界で最も早いものであった。