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2007年1月1日(月)今日の一枚へ戻る
12使徒 Twelve Apostles
グレートオーシャンロード
Great Ocean Road
ビクトリア州 Victora
Melway 607−E11

元旦のメルボルンは、曇っていましたが、穏やかな一日でした。気温は、30度ほど。
メルボルンでは珍しく湿度が50度ほどありました。午後4時頃からは晴れてきました。

左手前に以前は最大の岩がありましたが、一昨年崩壊しました。
崩壊前と後の画像
崩壊を伝えるニュース

昨日までの画像



12使徒(Twelve Apostles)は、グレートオーシャンロードの中でも最大の見物です。
石灰岩(limestone)で出来た海岸に直立する岩礁群のことです。石灰岩は、比較的、柔らかく海水に侵食されやすい性質を持っています。その中でも硬い岩が侵食されずに残ったものです。しかし所詮は、石灰岩です。いつの日にか必ず侵食されます。それでこれまでの数十年間でもいくつかの岩礁が姿を消したのです。これから数百年でまた少し景観が変わるでしょう。
昔は、Sow and Pigletsという名前でしたが、観光客が世界から訪問するにつれて1950年代に12使徒(Twelve Apostles)に名前が変わりました。

一番近い街は、ポートキャンベル(Port Campbell)です。

なおこの一帯は、ポートキャンベル州立公園の中です。

公式webより


この海域は海の難所、いわゆる灘として知られています。主だった沈没船は、50隻以上になります。
Thistle (1837) Children (1839) Lydia (1843) Socrates (1843) Enterprise (1850) Essington (1852) Freedom (1853) Sacramento(1853) Schomberg (1855) John Scott (1858) Golden Spring (1863) Marie Gabrielle (1869) Young Australian (1877) Loch Ard (1878) Napier (1878) Alexandra (1882) Yarra (1882) Edinburgh Castle (1888) Fiji (1891) Joseph H. Scammell (1891) Newfield (1892) Freetrader (1894) La Bella (1905) Falls of Halladale (1908) Antares (1914) Casino (1932) City of Rayville (1940)
この海域は、豪州大陸と南極大陸にはさまれており、Roaring 40度(魔の南緯40度)といわれる海域に近く、昔の貧弱な木造帆船ではひとたまりもなかったのです。遭難にまつわる多くの悲劇が伝わっています。更に悲劇を増したのが、この海岸の切り立った絶壁です。

せっかく遭難から逃れて海岸までたどり着いても、この絶壁を上れずに更に犠牲者の数を増やしました。

グレートオーシャンロードの建設はゴールドラッシュ後の1860年代に計画されましたが、実際の建設が始まったのは、1919年です。第一次大戦から帰国した兵隊の復員事業として始まりました。1932年にローン(Lorne)までが完成しました。
政府web

メルボルンから12使徒までは約330kmあります。
Tourism site
グレートオーシャンロード公式Web

メルボルンらしいのですが、ビジターセンターにはお土産屋、売店など一切ありませんので、食べ物、飲み物は持ってくるしかありません。

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