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サンドリングハム駅 Sandringham Railway Station

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Brighton

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2023年11月30日(日)(responsive版)
サンドリングハム駅 Sandringham Station
ブライトンビーチ Brighton Beach  
ブライトン Brighton
ビクトリア Victoria
この場所の地図 Google Map  

サンドリングハムは、メルボルン南部のサバーブである。その名の通り南部砂地地帯にあり、多くの貝塚があることから原住民族Boon wurrung族の居住地であった。

撮影データ
撮影データ iPhone XR
絞りF1.8 1/2611秒 ISO感度 25 
2023年1月14日17:31 板屋雅博 撮影

 最初の欧州人は1840年代に漁師として住み始めた。1851年に政府により土地の販売が始まり主な買主は土地投機家Josiah Morris Holloway.であった。ハロウェイは、町をジプシー村と名付けた。教会、学校、郵便局、小売店舗などが本格的な居住が始まる前にあった。商業用ガーデニングが漁業に取って代わって主要な産業になったが、町の規模は小さく、1881年でも人口は183人であった。翌年にランドブームが起こり、ピクニックポイントとサンドリングハムエステートでオークションが始まった。この時、サンドリングハムという英国の海岸にある王室夏季避暑地( royal seaside summer residence in England)の名前が使用された。鉄道線がオープンしてから人口が増加した。地元のムーラビン議会議員Thomas Bentは、鉄道延伸に寄与したが、サンドリングハムハウス(Sandringham House,)の建設メンバーでもあった。サンドリングハムハウスが同地の名前の由来でもあり、3階建てのコーヒーパレスであった。


 サンドリングハム鉄道駅は、1887年9月2日にオープンしたサンドリングハム線の終点駅である。
信号機ボックスは、フリンダース通り側、上り線の駅の端に位置している。馬を留めるヤードは駅の反対側に置かれ、最大翌日まで留める事が出来た。
1887年にブライトンビーチ駅から延伸した。
サンドリングハムハウスは、土地オーナーでビクトリア植民地議員のCharles H. Jonesも設立メンバーであり、エスプラネード通りに建設された。
トラムは、サンドリングハムからブラックロックまで1919年から1956年までビクトリア鉄道によって運営された。インターロック式ゲートがあったが、1967年にブーム式ゲートに置き換えられた。



 サンドリングハムハウスは、シーバスの近くに建設され1886年にオープンした。1880年代に桟橋が建設され、サンドリングハムを魅力的な海岸、岸壁に変えた。特にレッドブラフ(Red Bluff)は人気の海岸リゾートになった。幾つかの防波堤(breakwaters)が1900年から30年代にかけて建設され、小型ボードの桟橋になった。1880年代からプロの漁師船団が当地に移ってきた。


 ビクトリアの労働者が1915年に週48時間労働を勝ち取り、土曜日は半ドンとなった頃、サンドリングハムでは代替として地元の労働者に水曜日を半日休みとしたので、地元の観光業は影響を受けなかった。1861年からサンドリングハムあ、近隣のボーモリス(Beaumaris)、ブラックロック(Black Rock9、ハンプトン(Hampton)と共にムーラビン郡( Shire of Moorabbin.)の一部であった。サンドリングハムは、1917年にBorough of Sandringhaとなり、1923年に市となった。多くの公的機関が資金を出して住宅が建設され、1851年から個人所有であった場所Castlefield に、第一次大戦後は、War Service Homes Commissionによって退役軍人用の住居が28ヘクタールの広さで建設された。Castlefield の残りの部分は1931年にHaileybury Collegeが購入した。


 1950年代にビクトリア州住宅局( Housing Commission of Victoria)は、サンドリングハムで多数の住居を販売した。州で最初のショッピングセンターも含まれていた。サンドリングハム市当局は沿岸部からブラフ道路までの数ブロックの土地を帰国した退役軍人に建設コストのみの低価格で販売した。 A.V. Jenningsは、英国イングランドからやってきたJohns & Waygood社のエンジニアに30住宅を建設した。1950年代から60年代にかけて、人口が倍増したが、市当局はロイヤル・ゴルフ・コースの反対側を市民ゴルフコースとして保持し、産業用地などの場所を確保した。ロイヤルメルボルンゴルフコースは、1901年にブラックロックへ移転した。


  サンドリングハムの住人は、戦後数十年に渡って海岸地区に住みビーチでレクリエーションを楽しむようになった。大きな石材製の防波堤が1948年に建設され小型ボート数百艇がもやいを取れる場所を提供した。1980年代から90年代にかけて、海岸に面する住居は景観を楽しむ為に、豪華な邸宅やアパートメントに置き換えられた。
1995年にサンドリングハム市は、新しく作られたベイサイド市(Bayside City)に合併された。


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