シティ案内

今日の一枚

フェアフィールド ボートハウス Fairfield Boathouse

メルボルン百景トップ

社会史 水遊び

ヨット・ボート

フェアフィールドトップ

2020年3月15(日)
フェアフィールド ボートハウス
Fairfield Boathouse
ヤラベンド公園 Yarra Bend Park
フェアフィールド Fairfield
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

ヤラベンド公園(Yarra Bend Park)には、フェアフィールド・ボートハウスとスタドレー公園ボートハウス(Studley Park Boathouse.のふたつがある。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/40 絞りF5.0 ISO感度 100 露出補正 -1/3 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2020年1月23日13:22 撮影:板屋雅博


 フェアフィールド ボートハウス
Fairfield Boathouse
1 Fairfield Park Drive FAIRFIELD, YARRA CITY

VHD

フェアフィールド ボートハウスは、1908年にジョンSクレア( John St Clair)によって、ピクニック、キャンプ、元気回復(refreshment)ルームなどを備えて設立された。ジョン・クレアは、フィッツロイのスミス通りでピアノの調律士をしていたが、ビジネスの希望を持っていた。



 まず最初にジョン・クレアは、ビクトリア州首相(Premier)にフェアフィールド公園にリフレッシュメントハウスとボート小屋、モーターボートなどの施設を作りたいので、許可を得たいという手紙を書いた。申請のボートハウス建設予定地域は、ヤラベンド精神病院(Yarra Bend Hospital of the Insane)の所有地であったので、州首相は、同病院から許可を取るべく動いた。最終的に州政府は、ジョン・クレアにボートハウス開設の許可を出した。

ジョン・クレアは、許可取得後6年目にボートハウスを建設し、フェアフィールド公園内部でも個人管理地として分離された。ジョン・クレアは、その後、7年間に渡り、建物の建築をめぐり州政府役人(Crown Bailiffs)とトラブルになった。
結局、ハイデルベルク市当局がジョン・クレアを救済(buy out)した。
ボートハウスは、ヤラ川の河畔にあったので、常に洪水の被害に見舞われていた。
1923年にボートハウスは洪水の影響を最小限に食い止めるために、12フィートほど川面から上の部分に移設された。



 ボート祭りやカヌー祭りや屋外カーニバルが1950年代までフェアフィールド公園で頻繁に開かれていた。
ボート遊びは、非常に人気を集めていたが、1980年に、ヤラ川の水質は人の健康に良くないと発表されて、最終的に閉鎖に追い込まれた。





 1985年にボートハウス修復再開の入札があり、ポール・バンダー・スレイス(Paul van der Sluys)が勝ち取った。廃墟(derelict)と化していたボートハウスには不法占拠者(squatters)とポッサムの住処となっていた。ポール・バンダー・スレイスの家族と両親は、1985年にボートハウスを再建し、フェアフィールドボートハウス、ラダー・グランジ(Rudder Grange)ボート小屋、スタドレー( Studley )公園ボートハウスを運営した。ボートハウス再建には、合計で3万時間がかかった。
再建には、細かいところに気を配る(Meticulous)作業と細かい仕事が要求された。再建で森の鳥たちも生き返った。


 2010年に再建されたボートハウスは、最新の修復作業を施して、最新の厨房設備や、皮側の客席とテラスを導入した。
ポール・バンダー・スレイスと家族が現在も運営しており、誰でもシンプルで新鮮かつ季節の材料に恵まれた料理をヤラ川のそばでフレンドリーでリラックスした雰囲気の中で楽しめる。

フェアフィールド・ボートハウスは、二階建て木造の建物でヤラ川の北側斜面に建設されている。
建物は、板材(weatherboard)で覆われて(clad)いる。切妻(gabled)屋根は、波形の亜鉛鉄板( corrugated galvanised steel.)で覆われている。
広い材木を使用したベランダは、1階部分を占めており、鋳物製の腕木と垂直の木製の手すりで装飾されている。波形亜鉛鉄板製ベランダ屋根には、
オウジー(葱花くり形◆表面がS字の曲線をしたくり形)雨樋(gutter)とコーナーに台石に載った装飾(acroterion)がされている。



 切妻屋根の東西の両端には、装飾的な彫刻を施した木製のバージボード)、旋盤加工された木製の頂華(finial:切妻屋根や尖塔などの頂点部に置かれる、通例石を彫刻した装飾)、丸い通気口などが見られる。

gable:切妻屋根
carved:旋盤加工された
barge board:屋根材の一部)
finial:頂華、切妻屋根や尖塔などの頂点部に置かれる、通例石を彫刻した装飾
vent:排出口、通気口、通風孔




突き出た(projecting)エントランスの屋根付き玄関は、西側に位置している。ふたつの小さな切妻と類似するバージボードとそれぞれのメインの屋根に通気口が見られる。ヤラ川に面したベランダの下のレベルに板張りの客席がある。

projecting:突き出た。
porch:ポーチ、屋根付き玄関◆建築物の外側に屋根が突き出ていて、柱で支えられている。



 ヤラベンド公園(Yarra Bend Park)には、フェアフィールド・ボートハウスとスタドレー公園ボートハウス(Studley Park Boathouse.のふたつがある。


Studley Park Boathouse.


 Rudder Grange Boathouse
(1904-1963)

ラダー・グランジ・ボートハウスは、アルピントン(Alphington.)のアルピントン通りの突き当りのヤラ川河畔にある。
1904年にクーク家族( Cooke familyによって建設された。ボートハウスは、ヤラ川の行楽地として人気を集めた。ボートハウスは、繁栄したが、大雨によるヤラ川の氾濫が繰り返して発生し、1911年にシンプルな建物は、2階建てのしっかりした建物に建て替えられた。1920年代にフェアフィールド・カヌークラブ(Fairfield Canoe Club)がラダー・グランジ・ボートハウスの近くに移転してきて、カヌー遊びが流行した。蒸気船(Steam vessels)がメルボルンからデイツの滝まで定期便(ply)で就航し、デイツの滝からは小型船に乗り換えてラダー・グランジ・ボートハウスまで行けるようになった。




1938年にクック家族は、ビジネスと不動産をカール・シーラック(Carl Sierak)に売却した。シーラックは、ボートハウスビジネスを縮小(scaled down )した。建物が老朽化(slid into decay)してきたので、第二次大戦後に、ラダー・グランジ・ボートハウスは、売却された。レクレーションの志向が変化してきて、ボートハウスの人気は低下し、1963年に閉鎖された。ボートハウス建物は、その後、解体された。


このページのトップへ

下記に『メルボルン百景』のサイト内検索機能を付け加えました。 調べたい単語を入れてみてください。ヤラ川、トラム、レストラン、ワイン、などなんでも検索できます。

Google
WWW を検索 ”メルボルン百景”を検索

当ページに記されている内容の信頼性に関しまして、筆者は責任をもっておりません。ご注意ください。
当ページ及び付属のページに記載されている内容や画像を無断で複製・転載・使用することを禁じます。
当サイトは、ホームページ、ブログなどにリンクフリーです。リンクされたら下記までご連絡ください。
Copyrights (C) 2005-2006 Melbourne Hyakkei All Rights Reserved.

inserted by FC2 system