シティ案内

今日の一枚へ

フェアフィールド感染症病院 Fairfield Infectious Diseases Hospital

メルボルン百景トップ

フェアフィールド

社会史

eMelbourne Fairhaven 感染症病院 wiki

Yarra Bend Asylum  VHD

fairlea women's prison VHD

2021年2月7日(日) responsive版
フェアフィールド感染症病院 
Fairfield Infectious Diseases Hospital
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

当初、クイーン記念感染症病院(Queens Memorial Infectious Diseases Hospital)と呼ばれていたフェアフィールド感染症病院(Fairfield Infectious Diseases Hospital,)は1904年にオープンし、1996年に閉鎖された。メルボルンのサバーブであるフェアフィールド近く、ヤラ川のヤラベンドの高台の上に位置していた。過去、ヤラベンド・アサイラム精神病院、フェアリー女性刑務所などがあった場所である。

撮影データ Canon EOS 5D MarkⅡ シャッター優先AE 評価測光 1/200 絞りF8.0 ISO感度 200 露出補正 +1/3 くもり JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2020年1月24日11:48 撮影:板屋雅博

閉鎖される頃、この病院は、感染症に対する研究と治療の病院として国際的な評価を得ていた。豪州最後の感染症専門病院であった。当初は、この病院では発熱を伴う患者の治療を行った。腸チフス( typhoid)、ジフテリア(diphtheria)、コレラ(cholera)、天然痘( smallpox), 小児まひ(poliomyelitis)、猩紅(しようこう)熱(scarlet fever)などである。最後の数年は、エイズ(HIV/AIDS)の研究治療で有名であった。1860年代、ビクトリア植民地には、腸チフス)、ジフテリア、天然痘、猩紅熱が流行していた。当時、メルボルンにはメルボルン病院とアルフレッド病院のふたつの総合病院と産科病院(Lying-In)、子供、眼科耳鼻科(Eye and Ear.)の3つ専門病院があった。これら5つの病院では、毎年の様に多発する感染症には対応が出来なかった。植民地政府は、感染症患者を扱う専門病院の設立を検討始めた。ヤラベンドの地と更に奥地のハイデルベルク通りの場所である。ヤラベンドが好ましかったが、地元の住民が反対した為に、提案は撤回された。
感染症病院の計画は、74年にも検討されたが、97年までは進展しなかった。

 クイーンビクトリアの在位60年記念(Diamond Jubilee.)祝う16000ポンドの税金を使った基金を病気治療に使用する案が持ち上がった。ヤラベンドアサイラム精神病院の北側の土地15エーカー(6ヘクタール)が政府から貸与された。建設コンペの入札が行われて、1901年に最初の建物が完成した。基金は、全て建物建設に使用され、設備や人員の費用は追加でかかった。04年にオープンした。病院の運営資金は、メルボルン、フィッツロイ、リッチモンド、セントキルダ、ブランズウィック、コバークの市議会から出資で賄った。各市議会は病院の運営に貢献したが、代わりに病院運営委員会の議席を確保し、各市民には無料で治療を受けられた。他の地区の住民は、病院で治療を受けるのは有料であった。最初の1週に6名の患者が入院した。ノースコットから来た子供1名が無くなったが、一般にスキャンダルとなった。

 治療費の支払いをめぐってノースコットの担当者の手続きが遅れた為であった。病院の運営に関して、住民から不安の声が上がり、1912年に行政による調査が実施された。調査の結果、14年に州法が定められ、運営委員会が設置された。15年にノースコットとプレストンがメンバーに加わった。全ての地区が病院の維持に加わり、州政府からも費用が拠出された。18年、世界で数千人が亡くなったスペイン・インフルエンザの豪州への侵入を阻止する為、メルボルンとシドニー港で検疫が強化された。検疫はある程度、効果があったものの、結局、侵入を許し、入院患者が急増した。フェアフィールド病院の患者数は、18年ー20年に6000名に達して、80年代まで続いた。30年代に小児麻痺の伝染病が流行した。全ての急性患者は、 F.V.G. Scholes医師が担当し、230ベッドが用意された。1937年から38年に1275患者が治療された。ほとんどが14歳以下の子供であった。140名が呼吸器麻痺で、106名は人口呼吸器で治療された。77名が亡くなり、その他も大半が身体障害者となった。

  病院ではロンドンから購入したドリンカー式呼吸器(Drinker respirator)1台を保有していたが、37年の伝染病で木製の呼吸器がメルボルン大学工学部Aubrey Burstall教授によって開発され、29台が制作され47-48年、51年ー52年の流行期に治療に使用された。50年代にワクチンが開発されて、豪州から小児麻痺は根絶された。第二次大戦後にペニシリンや他の抗生物質が大量に生産され、感染症が激減したことにより、48年にクイーン記念感染症病院は、フェアフィールド病院と改名されて、一般の病院となった。83年にフェアフィールド病院の Dr. Ian Gus教授は、パリのパスツール研究所(Pasteur Institute)と共同でHIV/AIDS​の検出試験方法を世界に先駆けて確立した。最初の患者は、84年10月に入院した。
1996年に患者の多くはアルフレッド病院に移動して、フェアフィールド病院は閉鎖された。病院の土地建物は、Northern Melbourne Institute of TAFE​ (Melbourne Polytechnic)に売却された。

 NMIT以外にもこの場所は、Disability Forensic Assessment and Treatment Serviceや、Victorian Institute of Forensic Mental Healthなどが使用し、南側は、Thomas Embling Hospitalが使用している。この場所は、以前は、フェアリー女性刑務所(Fairlea Women's Prison.)があった。


このページのトップ

inserted by FC2 system