2021年1月31日(日) responsive版
ヤラベンド精神病院 Yarra Bend Asylum
フェアリー女性刑務所 Fairlea Womens Prison メルボルン Melbourne
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ヤラベンド・アサイラムは、精神病患者の治療の為に専門に作られたビクトリアで最初の施設である。1848年にNSWのターバンクリーク施設(Asylum
at Tarban Creek)の遠隔施設として1848年10月5日にオープンした。
撮影データ Canon EOS 5D MarkU シャッター優先AE 評価測光 1/200 絞りF8.0 ISO感度 200 露出補正 +1/3
オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2020年1月24日11:56 撮影:板屋雅博
当初は、メルボルン・アサイラム、メリクリークの精神病アサイラム(Lunatic asylum on the Merri Creek)と呼ばれた。ヤラベンド・アサイラムと公式に名付けられたのは、ビクトリアがNSW植民地から分離した1851年7月である。最初の患者は、メルボルン刑務所から移転された。ヤラベンドアサイラムの設立以前は、精神病患者は、地区の刑務所(gaols)に収容されていた。ヤラベンド精神病院は、1867年10月の植民地政府発行の刊行物(Government
Gazette)によると精神病法( Lunacy Statute 1867 :No.309)でアサイラムと規定された。設立から1905年までヤラベンドの施設はアサイラムと呼ばれた。アサイラムのタイトルは、病院というよりは隔離施設(refuge)という意味合いが強いことを物語っている。精神病院は精神的に病んでいる人々を癒す処置をするという意味は少なかった。1903年の精神病法(Lunacy
Act 1903 (No.1873)によりアサイラムから精神病院へと名称が変更された。精神病法は、1905年に施行された。
名称は、変更されたが、施設の機能と構造は以前と同じであった。名称の変更は、社会の精神病への捉え方の変化とビクトリア政府の精神病患者の処置への対応の変化を反映している。政府発行刊行物には、
精神病患者為のアサイラム病院は、精神病患者を受け入れる(reception )公共施設であると、審議会(Governor-in-Council
)によって規定されて(proclaimed)いる。アサイラムは、長期療養患者と同様に短期療養患者の病棟もあった。患者は、入院を認める許可書が必要であった。1867年以前は、許可書は行政長官(Governor)が署名した。その後は、次官(Chief
Secretary 、VRG 26)が担当した。1914年の精神病法(Lunacy Act 1914 、No.2539)では本人の申請により、必要な期間の入院が可能になった。
ヤラベンド・アサイラムは、メリクリーク川(Merri Creek)とヤラ川の交差する場所の近くで、フェアリー女性刑務所の場所の近くにある。
アサイラムは、F.カワラウ(F.Kawerau)の設計で、公共建築局の検察官(Inspector General,)で大御所ウィリアム・ワーデル(William
Wardell)の監修であった。フェアリー女性刑務所の残存物は入り口ゲートの柱だけである。当初の刑務所への入り口から反対側で敷地外の場所へ移動された。柱は、1860年頃のものと思われる。柱は、四角のブルーストーン製で約5mの高さで、土台には傾斜が付けられている。
最後の患者がヤラベンド精神病院を離れたのは、1925年9月1日である。敷地や建物は、ヤラベンド財団( Yarra Bend Trust)に移管され、リクリエーション施設やゴルフ場が作られて、現在の使用される。北部の建物は、フェアフィールド感染症病院(Fairfield
Infectious Diseases Hospital)になった。アサイラム男性患者用建屋は1927年に改装されて性病(venereal diseases)を扱うフェアヘブン病院(Fairhaven,)になった。1928年にペニシリンが発見され、第二次大戦で実用化され、フェアヘブン病院は、1951年に閉鎖された。この建物群が1956年にフェアリー女性刑務所となった。
旧フェアリー女性刑務所(HM Prison Fairlea)は、フェアフィールドの近くのヤラベンドの地でヤラベンド精神病院があった場所に1956年に設立され、1996年に閉鎖された。ビクトリア州で最初の女性専用刑務所であり、刑務所のレイアウトに使用された壁とゲートが残存している。1982年に放火により3名の囚人が死亡したが、再建されて1986年に再開したが、刑務所の運営の民営化に伴い閉鎖された。現在は公園になっている。
1927年頃、アサイラムの施設は、政府管理(Public Reserve)となり、ほとんどの建物は解体された。1985年の残存物は、看護室(Infirmary)、柱、入り口ゲート、ハハ壁:ha-ha
wall(沈んだフェンス)
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