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イーストメルボルントップ

藤の花 (Wisteria)

メルボルン百景トップ


2008年10月9日(木)
藤の花 (Wisteria)
イーストメルボルン East Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

午前中は雲が多少ありましたが、午後からは天気予報どおり素晴らしい快晴となりました。気温はまだ20度ほどですが、週末にかけて良い天気となりそうです。

昨年の今日 2007年10月9日(花時計 Flora Clock

Canon EOS 40D シャッター速度 1/60 秒 絞り数値 F11.0 測光方式 評価測光
ISO感度 100 画質圧縮率 RAW
ホワイトバランス オート

今日の為替レート
1A$=70円 

  通りの真正面にMCGが少し見えています。
メルボルンシティの北東の通りであるスプリング通りの東側に州議事堂パーラメントや財務省などの政府官庁ビル街があります。イーストメルボルンは、その東側の地区です。フィッツロイ公園などもイーストメルボルンに含まれます。
イーストメルボルンは、1835年にメルボルンに定住が始まった後、最初の高級住宅街でした。
その後のメルボルンの発展時代や停滞時代も高層ビル街に変化することなく閑静な住宅街です。従って1850年代以降のメルボルンの高級住宅街の姿をそのまま残す貴重な歴史の町となっています。
歴史的に重要な住宅が多いのですが、訪問する観光客や行楽客もまったくいないので、静かに散策するにはベストな地域です。メルボルンのビジターセンターで無料ガイドブックがもらえます。

メルボルンビジターセンター

 旧長老派教会 (Cairns Memorial Presbyterian Church) 現在は、アパートメント。
1880年代に建設されたイーストメルボルンの象徴的な教会でした。1988年に火事によって外観を残して内部は完全に焼け落ちました。その後、アパートになっています。 Walking Melbourne

長老派教会(プレスビテリアン)は、1500年代のヨーロッパで起きた宗教改革の際、スイスのカルヴァンが主宰したプロテスタントキリスト教の主流会派。1600年代にスコットランドやイングランド議会で採択されました。北米では少ない会派ですが、オーストラリア、ニュージーランドなど英国連邦コモンウェルスでは主流のプロテスタント教会。
メルボルンでも良く見かける教会です。
(焼けたとはいえ、歴史ある教会をアパートにするのは豪州ならではの感覚でしょう。)
左側は、Hotham Street
右側は、Powlett Street

  シデンハム ハウス Sydenham House
No 80 Hotham Street
1856年建設。
当時は、女学校でした。
ゴールドラッシュで急拡大したとは云え、メルボルンの人口は、郊外まで入れても30万人ほどでそのうち90%は、入国3−4年の荒くれ者でした。従って家族を持っているちゃんとした市民はわずか3万人ほどで、女性の高等教育は、まだほとんど無い時代でした。
女子学生の学校といってもこの規模で十分の規模だったのです。
まだ小規模だったメルボルンが偲ばれます。

イーストメルボルントップ

 ドーセットテラス (Dorset Terrace)
No 114-120 Hotham Street
ビクトリア時代の典型的なアパートメント。
メルボルンの初期の頃からアパートメントはありました。まだトラムも無い時代でしたので、金持ちも一般の人々もメルボルン市内へは歩いて通う以外に方法はありませんでした。イーストメルボルンには、スプリング通りの官庁街の役人が多く住んでいました。メルボルンシティにもたくさんの富裕な人々が住んでいましたが、コリンズ通りの東側(パリスエンド)を除いて、ほとんどがビルになっていて現存していません。


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