旧長老派教会 (Cairns Memorial Presbyterian Church) 現在は、アパートメント。
1880年代に建設されたイーストメルボルンの象徴的な教会でした。1988年に火事によって外観を残して内部は完全に焼け落ちました。その後、アパートになっています。 Walking Melbourne
長老派教会(プレスビテリアン)は、1500年代のヨーロッパで起きた宗教改革の際、スイスのカルヴァンが主宰したプロテスタントキリスト教の主流会派。1600年代にスコットランドやイングランド議会で採択されました。北米では少ない会派ですが、オーストラリア、ニュージーランドなど英国連邦コモンウェルスでは主流のプロテスタント教会。
メルボルンでも良く見かける教会です。
(焼けたとはいえ、歴史ある教会をアパートにするのは豪州ならではの感覚でしょう。)
左側は、Hotham Street
右側は、Powlett Street
シデンハム ハウス Sydenham House
No 80 Hotham Street
1856年建設。
当時は、女学校でした。
ゴールドラッシュで急拡大したとは云え、メルボルンの人口は、郊外まで入れても30万人ほどでそのうち90%は、入国3−4年の荒くれ者でした。従って家族を持っているちゃんとした市民はわずか3万人ほどで、女性の高等教育は、まだほとんど無い時代でした。
女子学生の学校といってもこの規模で十分の規模だったのです。
まだ小規模だったメルボルンが偲ばれます。
ドーセットテラス (Dorset Terrace)
No 114-120 Hotham Street
ビクトリア時代の典型的なアパートメント。
メルボルンの初期の頃からアパートメントはありました。まだトラムも無い時代でしたので、金持ちも一般の人々もメルボルン市内へは歩いて通う以外に方法はありませんでした。イーストメルボルンには、スプリング通りの官庁街の役人が多く住んでいました。メルボルンシティにもたくさんの富裕な人々が住んでいましたが、コリンズ通りの東側(パリスエンド)を除いて、ほとんどがビルになっていて現存していません。