2008年8月7日(木)
キング橋の夕景
Sundown on the King Bridge
ヤラ川 Yarra River メルボルン Melbourne
この地区の地図Googole Map
午前中は、薄い雲がかかっていてすっきりしない天候でしたが、午後からは晴れてきました。夕方は、西の空は、きれいな晴天となりました。
昨年の今日2007年8月7日(クラウンカジノ西口(クラレンドン通り口)
右側の白い光は、メルボルン水族館
クイーン橋の上から撮影。
キング橋は、1959年に設計され、1961年に完成したヤラ川では比較的新しい橋です。1920年ころまでは、クラウンカジノあたりは、メルボルンの港湾地区でした。かなりの大型貨物船が、クイーン橋までヤラ川をさかのぼって来て、クイーン橋の手前(この画像の場所)で回頭してクラウンカジノの場所に着岸し、荷物を降ろしていました。
クラウンカジノの場所には、保税倉庫などが立ち並んでいました。
しかしメルボルンの都市化が進み、都心へ乗り入れる新しい道路が必要になり、港湾施設は、ドックランドに新しく建設されました。
メルボルン港の歴史参照
キング橋の向こう側は、メルボルン展示会場
クラウンカジノコンプレックスプロムナード
港湾地区が移動になった後で建設されたのが、キング橋とスペンサー通り(1928年建設)です。ポートメルボルンやアルバートパーク公園地区を経由してメルボルンの南部地区を結ぶ新しい動脈が出来ました。
キング橋を南に渡ると高架になっていてクラウンカジノの建物の中を突っ切ってキングスウェイKingswayに入ります。キングスウェイから首都高速シティリンクに直結しています。
キング橋は、完成翌年の1962年に橋げたが落下するという事故が起きています。
事故報告書 (クラウンカジノが無い時代の写真があります。)
The Crown Towers Hotel とキング橋
キング橋、キング通りの名前は、英国のスチュアート朝のウィリアムV世王(1650−1702年)の名前に由来します。
1600年代後半の英国は、ルイ14世太陽王のフランスやスペインなどの大国に押される存在でしたが、ウィリアムV世王の統治の時代に、英国国家が安定してきました。1700年代の英国の繁栄の時代に導いた指導者です。特に英国海軍を強化し、後に大航海時代や、世界帝国となる基礎を作った点が評価されます。
クラウンカジノトップ
ヤラ川B
リアルトタワー (251m)
かつては南半球で一番高いビルでしたが、現在は、サウスバンクのユーレカタワーに抜かれて2番になっています。
公式Web
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