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ホワイトウェディング White Wedding

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2008年12月21日(日)
ホワイトウェディング White Wedding
フットブリッジ Footbridge
メルボルン Melbourne
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今日も昨日に続いて、素晴らしい初夏の天気に恵まれました。気温もシティの中などは、30度近くまで上がりました。明日からは若干下し坂ですが、クリスマスイブからはまたいい天気です。

昨年の今日 2007年12月21日(サンドリッジブリッジ

Canon EOS 40D シャッター速度 1/200 秒  絞り数値 F7.1 評価測光 ISO感度 100 画質圧縮率 RAW レンズ:EF24-70mm f/2.8L USM

今日の為替:1豪州$=60.99円

  花嫁が白のウェディングドレスを着るホワイトウェディング(White Wedding)が始まったのは、ビクトリア時代のころです。
英国のビクトリア女王が、夫のアルバート公と1840年に結婚式を上げ、その際に女王が自分で白のドレスを選んだことに始まります。ビクトリア女王以前にも白のウェイディングドレスを選んだヨーロッパの皇室はたくさんいましたが、ビクトリア女王は、英国、米国など英国連邦や周辺諸国への影響力の強さが決定的に違っています。

ビクトリア女王は、1714年に始まるハノーバー朝に属しています。ジョージ一世、二世、三世、四世、ウィリアム四世、ビクトリア女王となります。ジョージ四世には、子供がなかったために、弟のウィリアム四世が後継し、ウィリアム四世にも子供がいなかった為に、英国王位継承法によって、王位継承権第四位であった、ジョージ三世の孫のビクトリアが女王に選出されました。

絞り:F2.8 速度:1/3200 秒

 ビクトリア女王は、1819年の生まれで女王に即位した時は、18歳でした。
夫のアルバート公も同じ1819年生まれで、ビクトリア女王の母方のいとこにあたります。王室の医院でが同じ医者が担当だったことにあって17歳の時に出会っています。ビクトリア女王の方からアルバート公に求婚しています。英国女王に求婚は、誰にも許されなかったからです。
結婚式は、ふたりが21歳の1840年2月10日に行われています。ロンドンのPall Mallに所在するセントジェームズ宮殿(St. James's Palace)のロイヤルチャペル(Chapel Royal)で行われました。この時のドレスが純白のウェディングドレスでした。
アルバート公は、1861年に42歳で亡くなっていますが、ふたりの結婚は、非常に幸せあったと云われています。
アルバート公は、メルボルンのアルバートパークにその名を残しています。

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 純白のウェディングドレスは、ビクトリア時代にはかなり流行しましたが、それでも主流といえるほどではありませんでした。
貴族階級は、金や、金色を使用したドレスでした。世間では、そもそも結婚式を挙げること自体が一般的ではありませんでした。
それぞれの階級や資金に応じて簡素に行っていました。日本では、海外からウェディングが輸入されたことに刺激を受けて、神前結婚式が明治の中頃に考案されています。それまでは親族や関係者だけの内輪で行うものでした。従ってウェディングドレス色などそもそも無かったのです。

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 第一次世界大戦後の好景気の時代(アールデコの時代)にアメリカ式のデパートメントストアが繁栄します。このころに、近代的な結婚式の手法が段々に整備され、雑誌などの広告宣伝などのコマーシャリズムによってホワイトウェディングが確立されてきました。

 ビクトリア女王のセントジェームズ宮殿(St. James's Palace)のロイヤルチャペル(Chapel Royal)での結婚式。
王室の結婚式での純白のウェディングドレスは、当時では珍しいものでした。


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