2018年4月 29日(日)
No.20 オーストラリアンフットボールとメルボルン・グラマー高校 日豪プレス5月号
マーベラスメルボルン marvellous Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図
日豪プレス
撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 絞り7.1 1/200秒 ISO感度 100 露出補正 オート PG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2010年12月16日
メルボルン・フットボールクラブ
ジーロンフットボールクラブ
1850年、メルボルンのトム・ウィルス少年(14歳)が英国の名門私立ラグビー高校へ留学した。ラグビー高校では在校生たちが5年前の1845年に新しいスポーツ、ラグビー・フットボール・ルールを作りだしていた。運動神経が良く、体格にも恵まれたウィルス少年は、クリケットとラグビーの優秀な選手として活躍した。1855年二十歳になったウィルス少年は、ゴールドラッシュに沸くメルボルンに戻ったが、スポーツヒーローとして受け入れられ、ビクトリアのいくつかの高校でスポーツの授業を教えていた。
ラグビー高校の少年たちが作りだしたラグビーに負けないオーストラリア独自のフットボールを作り出したいと願ったウィルスは、1858年に新聞にオーストラリアン・ルール・フットボール(オージールール)に関するレターを発表した。ラグビールール誕生から遅れることわずか13年目のことである。なおサッカーのルールが出来たのも1850年代である。
ウィルスは、当時の熱狂的スポーツであるクリケットのオーストラリア代表チームキャプテンで有名人であり、オージールールは、すぐにメルボルンの高校などで受け入れられた。
メルボルンきっての名門私立高校メルボルン・グラマー高校は、植民地政府からセントキルダ通りの一等地を1855年に貸与され1858年に開校した。
キリスト教教育の伝統的な英国式をモットーとする学校は、出来たてのオージールールをすぐに取り入れた。
記念すべき最初のオージールールの試合は、メルボルン・グラマー校対スコッチ高校の間で1858年8月7日に行われた。1859年には、メルボルンFC(フットボール・クラブ 現デーモンズ)が結成された。プロリーグAFL(オーストラリアン・フットボール・リーグ)の最初のチームである。
メルボルン・グラマーと並ぶビクトリアの名門ジーロン・グラマー高校は、メルボルン第二の都市ジーロンに1855年に開校した。ジーロン・グラマーでもメルボルンに負けじとオージールールが始まった。ジーロン・グラマーの卒業生などで1859年に結成されたジーロンFC(現キャッツ)は、メルボルンFCに次ぐ第二のクラブである。
なお、ジーロングラマンー校の卒業生には、英国エリザベス女王の長男で、国王を継承するとみられるチャールズ皇太子がおられる。
メルボルンでオージールールに熱狂していたころ、日本はまだ明治維新前の幕末であった。
このページのトップに戻る
|