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コリンズ通Bスワンストン-エリザベストップ

最後のガス灯 Last Gas Lamp

メルボルン百景トップ

2012年4月08日(日)
最後のガス灯 Last Gas Lamp
コリンズ通り Collins Street
メルボルン Melbourne
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コリンズ通りとスワンストン通りの交差点の近くに古いガス灯がある。現在でもガスにより灯りがともっている。かつてメルボルンにたくさんあったガス灯の最後の一基。


撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE スポット測光 絞りF5.6  1/200秒 ISO感度 400 露出補正 AWB JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L USM
2012年3月16日板屋雅博 撮影


 メルボルンに植民が始まったのは、1835年。当初は石油ランプが用いられたが、灯油自体が英国からの輸入品で高価であった。1840年代になって、ごく小規模の石炭ガスの工場が、メルボルンの意欲的な商店主によって作りだされた。スワンストン通りのパン屋、お菓子屋であったウィリアム・オバートン(William Overton)の名前が残っている。オバートンは、フィッツロイの鍛冶屋ジョージ・サウス(George South)に頼んで器具を作ってもらい石炭ガス化マシンを作った。
オバートンの最初のガス灯が点灯したのは、1849年7月23日。うまく成功したために、多くの見物客が訪れている。
この成功に植民地政府が着目し、1950年にメルボルンガス&コーク会社(City of Melbourne Gas & Coke Co.)が設立された。

ガス灯がともっているのがかすかに判る。

 直ぐにガス化工場がバットマンヒル(現サザンクロス駅前)に建設され、ガス管の敷設作業が始まった。
1851年にメルボルンは、NSW植民地から独立しビクトリア植民地として独立。同じ年にビクトリア州で世界最大規模のゴールドラッシュが始まった。メルボルンの男性労働者の大半がベンディゴなどのゴールドフィールドへ金鉱夫として出て行ってしまい、賃金が低い公共工事は全てストップしてしまった。 結局完成したのは、1856年の元旦。メルボルンシティの商店や事務所へ供給された。灯油ランプに比べると、ガス灯は、連続的に使用出来、多数のガス灯を一度に使用できるなど利点など多くの利便性があった。ただしガス会社とメルボルン市当局とのガスの価格が折り合わず、道路のガス灯に火が灯ったのは、1857年8月になった。

 その頃のメルボルンは、ゴールドラッシュにより世界で最も裕福な都市と云われるマーベラスメルボルンと呼ばれていた。石炭ガスへの需要も非常に大きく、ガス会社は、ガス主管をシティだけでなく、住居地区であるシティ近郊サバーブへも拡大していった。コリンウッド・フィッツロイガス会社(The Collingwood Fitzroy and District Gas and Coke Co.,)が1859年に設立。ノースフィッツロイに工場を作り、1861年5月に操業している。サウスメルボルンガス会社(The South Melbourne Gas Co.,)は、1873年3月に設立されている。この3つのガス会社による競争が激化し、ガスの乱売が起こり、ガス価格は低下。3社は、赤字に陥っている。このため、3社は、1877年に協議を行い、1878年1月1日付で合併し、メトロポリタンガス会社(The Metropolitan Gas Co.,)が設立された。

サウスメルボルンガス会社(現ガスワークスギャラリー)

 1870年代は、ガスがエネルギーの主役となり、ガス灯以外にもガスが家庭用の煮炊きに利用され、ガス釜、ガス温水器などが作られた。
1900年までにビクトリア植民地で50のガス化工場が作られ、メルボルンの郊外などにも16の工場があった。ウェストメルボルン、ノースフィッツロイ、ウィリアムズタウン、サウスメルボルン、ブライトン、フッツクレイ、リリデール、ニューポート、ダンデノン、メントーン、ハイデルバーグ、ボックスヒル、ブランズウィック。

一方、1870年代の後半に電灯がメルボルンへも輸入された。1881年には、ビクトリア電灯会社(the Victorian Electric light Co.,)が設立。最初の電灯が展示された。電力は、石炭ガスを熱源とした発電機が使われた。ガス灯と同様に最初の電灯はスワンストン通りに設置された。1888年に、メルボルン市当局によって、ふたつのガス灯が電灯に置き換え垂れた。

  ガスマントル(金属の網によって明るく照らす器具、incandescent gas mantle)が発明されたが、結局は、電灯に取って代わられた。ビクトリア電灯会社は、その後、オーストラリア電気会社になった。スペンサー通り発電所が作られ、1894年にシティに最初の電灯が灯ったが、メトロポリタンガス会社が作り出す石炭ガスを使用して発電するものであった。

このガス灯は、シティでは唯一のものだが、サウスヤラなどではまだいくつか生き残っている。このガス灯は、プリンセス橋のものと同じく1910年頃の製作と思われる。

メトロポリタンガス会社本社ビル

eMelbounre

ホバートガスカンパニー

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