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プラットフォーム10

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2007年8月1日(水)
プラットフォーム10
フリンダース駅(Frinders Street Station)
メルボルン Melbourne
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フリンダース駅のプラットフォーム10番は、駅の一番南側にあるプラットフォームです。画面右側のフェンスを越えるとヤラ川のプロムナードです。このホームは、あまり多くは使われていません。ウィリアムズタウン行きの電車や臨時列車が出発します。

昨年の今日2006年8月1日(フリンダース駅西口)

flindersstreetstation

 フリンダース駅は、1854年9月12日にメルボルンターミナル駅(Melbourne Terminus)という名前で開業しました。豪州で最初の鉄道駅です。サンドリッジ(ポートメルボルン)の海岸にあるステーションピアとを結ぶホブソン湾鉄道会社(Hobson's Bay Railway Company )の所有でした。開業当時のフリンダース駅の設計は、英国本国で行われ、設計図をインドのボンベイ駅と取り違えて送ってしまい、そのまま建設されました。現在でもその遺構は、プラットフォーム1番や、バナナアレーに見ることができます。

ripefruit

フリンダース駅
建設:1901年−1911年
建設期:エドワーディアン
建設スタイル:エドワーディアンバロック
アールヌーボーとクイーンアンスタイルを融合させたメルボルン建築の傑作です。特にドームと時計台は、メルボルンを特徴づけるものです。
設計:J.W. Fawcett & H.P.C. Ashworth

フリンダース駅の正面玄関であるドームや西口の時計台など現存のフリンダース駅を特徴ずける駅の建築物は、大半がこの時期に建設されました。その後、現在も改造工事が続いており、プリンセス橋出口の内側部分、エスカレーターなどが新しくなっています。外見上の大幅な変更はないでしょうが、内部は今後も継続して新装を続けます。

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 メルボルンのあと二つの中央駅であるプリンセス橋駅とスペンサー駅(現サザンクロス駅)は、1859年に開業しています。プリンセス橋駅は、現在のフェデレーションスクエアの場所にありましたが、後にフリンダース駅まで線路をつなげることにより、廃止になっています。当時のフリンダース駅は、現在よりも西側(エリザベス通り側)に位置していました。ゴールドラッシュ、移民の急増、メルボルンの膨張により、メルボルンの中央駅を新しく作る計画が1880年代に検討され、メルボルンの一番低地であるエリザベス通りに作る案や、スペンサー駅を中央駅とする案なども検討されました。

museum.vic.gov

 現在の駅のドームの場所には、1860年に建設されたメルボルン市公営魚市場がありました。ドームの建設と共に取り壊されています。またスワンストン通りのプリンセス橋のたもと(フェデレーションスクエア前で現在は、ゲーム場Clocksがある)には、30年以上に渡って、メルボルン市の公営死体置き場(Morgue)がありましたが、1890年に取り壊されました。プリンセス橋の新設、プリンセス橋駅との統合、メルボルンシティの南東地区(ジョリモント駅周辺)の開発、ヤラ川流域の総合開発などの計画の中で、フリンダース駅をメルボルンの中央駅とすることが1882年に決定されました。

buslines

1889年にメルボルン市鉄道委員会は、優勝賞金500ポンドにて、新フリンダース駅の設計を公募し、J.W. Fawcett & H.P.C. Ashworthが第一位となりました。現在のフリンダース駅には、その後、多くの改造が加えられましたが、彼らの基本設計は守られています。1901年に建設準備が開始され、1905年9月25日に本格建築がスタートしました。1910年にほぼ完成しましたが、この時点で建築コストは、514,000ポンドに達して、当初の予算を大幅に超過していました。ポートメルボルン線、セントキルダ線のプラットフォームは、破壊するには惜しい建築物であったので、ホーソン(Hawthorn)駅に移築されました。

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