2012年9月09日(日)
オゾンホテル Ozone Hotel
ギリブランド通り Gelligrand Street
クインズクリフ Queenscliff バラライン半島 Bellarine Peninsula ビクトリア Victoria
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バラライン半島の突端、クインズクリフは、マーベラスメルボルンと呼ばれた1880年代には、メルボルンからの保養地として栄えた。数多くの観光ホテルが建設され、避暑地、避寒地として多くの資産家や富裕層が観光に訪れた。車もない時代であり、数週間から数カ月の長期滞在型のリゾート地であった。
撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞りF9.0 1/640秒 ISO感度
100 露出補正 -2/3 太陽光 JPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM
2010年12月28日 板屋雅博 撮影
オゾンホテル Ozone Hotel
旧名 ベイリューホテル Baillieu Hotel
住所:42 Gellibrand Street Queenscliff
住所:42 Gelligrand Street
建築年:1882年
施主:James George Baillieu
設計:William J. Ellis
建築: Thomas Dally
建築材料:化粧レンガ Stuccoed Brick
建築様式:フレンチルネッサンス、イタリアン・ルネッサンス・パラッチオ様式
特徴:2階式で鋳物装飾があるベランダとバルコニー、4層式タワー
このホテルは、客席数80室を持つベイリューホテルとして1882年にジェームズ・ベイリューによって建てられた。メルボルンの有名な富豪・政治家・ビジネス一族であるベイリュー家は、ジェームズの息子ウィリアム・ベイリュー(William
Lawrence Baillieu)に始まる。現在のビクトリア州首相テッド・ベイリューも一族のひとり。
テッド・ベイリュー(メル百)
建築後直ぐに22部屋を持つ北側ウィングとダイニングルーム(レストラン)、オーナーの居室などが増設された。1879年にジロンークインズクリフ鉄道が開通し、多くの観光客がメルボルンから訪れた。1887年に外輪蒸気船オゾン号(paddle
steeter Ozone)がメルボルンから就航し、その乗客をターゲットしたので、オゾンホテルと改名された。1902年に、ビュー・グランドホテルの支配人であったルイス・クラッグがオーナーになり1939年に亡くなるまで所有していた。1924年には、「ビーチに最も近いホテル」、1947年には「公園の隣、湾を一望にする」というキャッチフレーズで広告を出していた。
1980年にマランボール社が購入し、大がかりな改装を実施。エントランスホールとダイニングルームは、開店当初の姿に戻された。客室は、スイートルームを多くし、広くするとともに部屋数は大幅に減らされている。
ラーサム・ストウ (Lathamstowe)
住所:44 Gellibrand Street Queenscliff
建築年:1882−1883
施主:Edward Latham 娘のBertha Marthaがベイリュー一族始祖のウィリアム・ベイリューの妻。
設計:William J. Ellis
様式:イタリアンルネッサンスリバイバル
目的:アングリカン教会牧師居宅
クインズクリフに保養にきた富裕層が教会に行く為に建設されたもの。
特徴:鋳物製のティアラが持つマンザードルーフのタワー。
ラーサム・ストウは、メルボルンの著名なビール王。1880年頃、ラーサムは、当時売りに出ていたカールトンビール(Carlton
Brewery)を購入。醸造家アルフレッド・テリーの助けを借りて、生産量を拡大して成功を収めた。
ベイリュウー一族の栄華をしのぶオゾンホテルだが、残念なことに2005年に閉館した。2003年にオゾンホテルを購入した企業NFTM
Propertiesが維持費がかかりすぎるという理由で、アパートに変更した。
The Age
オゾンホテル ラーサム・ストウ
ウィリアム・ベイリュー
エドワード・レーサム
William Lawrence Baillieu(Wiki)伝記集
クインズクリフ市政府
カールトンブリューワリービール醸造所
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