シティ案内

今日の一枚へ

パークビル

ノーザンマーケット外壁 Northern Market Wal

メルボルン百景トップ

2014年5月18日(日)
ノーザンマーケット外壁
Northern Market Wal
パークビル Parkville
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

シティのエリザベス通りを北へまっすぐ行くとヘイマーケットの交差点(ランナバウト)があり、その先にはロイヤル女性病院がある。その先にストニー通りがある。ここにはかつてノーザンマーケット(メルボルン北部市場)と呼ばれた市場があった。牛馬羊などの家畜とその飼料の為の市場で、メルボルンの台所を支えた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/160 F13.0 ISO感度 100 オート 露出補正 -2/3 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM 2010年12月29日13:51 板屋雅博撮影


 ノーザンマーケット市場は1855年から1939年にかけて断続的に運営されたが、頻繁に使われたのは1870年代から1930年代である。ノーザンマーケット外壁は1888年に建設されたもので、ノーザンマーケット全体を囲んでいた。ノーザンマーケットは、フレミントンロード、ロイヤルパレード、ストニーロード、パークドライブで周囲を仕切られており、外壁は全体を囲んでいた。ノーザンマーケットは、牛市場、馬市場、豚市場と飼料用の干し草市場で構成されていた。ストニーロード、パークドライブで仕切られたノーザンマーケットの一部は現在、メルボルン大学畜産学部となっている。
フレミントンロードと東側は現在、ユニバーシティ高校とロイヤルメルボルン病院となっている。


  ノーザンマーケットのストニーロードとパークドライブ、フレミントンロードに沿った地区は高いレンガ外壁で囲まれている。外壁は約3mの高さがあり、レンガ造りのパネルがストニー通りに沿って20枚、パークドライブ沿いに25枚、フレミントンロード沿いに16枚で構成されている。ストニーロードとパークドライブ沿いの外壁は壊されることなく建設当時のままに残っている。
.メルボルンの西部地区から食糧として大量の家畜と飼料がメルボルンへ搬入されてきたが、ノーザンマーケットはその受け入れ口として使用されてきた。ゴールドラッシュによりメルボルンの人口が爆発的に増加した1850年代からビクトリアマーケットのサポート市場として市場用地が確保され、本格的に使用が開始されたのは1868年以降となった。

外壁で囲う必要が出てきたのは、1880年頃からこの地区も徐々に都市化され一般市民もこの地区に住むようになり、環境問題、危険防止の為に家畜市場を分離する必要が出てきたからである。
ノーザンマーケットは、フレミントンロード(アレキサンダーロード)とロイヤルバレーど(シドニーロード)の西部と北部へ向かうメルボルンの基幹道路に面している。この方面から大量の家畜がメルボルンへ流入していた。この地区で処理された食肉はビクトリアマーケットへと運ばれた。

 電気や自動車が無い1800年代では馬は産業の原動力であった。ビクトリアの各地を結ぶ馬車や食糧を運ぶ輸送用など広範囲に馬が使われた。メルボルンに馬が運び込まれたのは1835年の最初の移民の年であり、タスマニアや既に移民開始後50年ほどが経っていたシドニーから大量に運び込まれた。

 Onmydoorstep

 VHR

 メルボルンの馬の歴史

ニューマーケット家畜販売市場、食肉処理場

カークの馬市場

このページのトップへ

inserted by FC2 system