シティ案内

今日の一枚へ

エキジビジョントップ

女王陛下の劇場 ハーマジェスティ劇場 

メルボルン百景トップ

2012年6月28日(木)
女王陛下の劇場 ハーマジェスティ劇場 
Her Majesty's Theatre
エキジビジョン通り
Exhibition Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

ハーマジェスティ劇場は、マーベラスメルボルンと呼ばれた繁栄の時代に世界の最先端を行く劇場として建設された。現在では世界的にヒットしたミュージカルを上演する劇場としてメルボルンっ子におなじみの劇場。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF8.0 1/200秒 ISO感度 400 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM
2010年7月6日16時 板屋雅博 撮影

Her Majesty's Theatre
旧名 アレクサンドラ劇場 通称アレック

住所:199-227 Exhibition Street
建築年:1886 - 1934
建築期:ビクトリアン
建築家:Nahum Barnet
建築様式:ルネッサンス・リバイバル


Nahum Barnetの作品

バーネット・グラスの倉庫

オーストラルビルディング

中国国民党メルボルン本部

アルストンコーナービル 

ハーマジェスティ劇場は、エキジビジョン通りに沿ってリトルバーク通りとロンズデール通りのほぼ1区画を陣取っている。この場所は、マーベラスメルボルンと呼ばれた1880年にオープンエアの更地に階段状の観客席が作られサーカスや、馬術ショーなどの一般大衆用の見世物の場所として使われた。馬を使った曲芸サーカスが4年間使用した後、フランス人の演芸志Jules フランシスデセールスFrancois de Sales Joubertが30年間の賃借権を獲得した。フランシスは、建築家のナーハム・バーネットに劇場、事務所、宿泊の複合施設の設計を依頼した。当時、パリのエッフェル塔、ニューヨークの自由の女神が建設が開始されており、メルボルンでも記念碑的な建築物を建てようとの機運があった。アレクサンドラ劇場は、1886年10月1日にオープンした。

 アレクサンドラ劇場の名前は、将来のエドワード7世王の妃になる当時のプリンスオブ・ウェールズ公に由来している。アレクサンドラ劇場は、当時、南半球では最大となる収容人員2800名を誇った。最初のショーは、Bad Lad、最初の年には、後にオーストラリアのクラシックとなるFor the Term of His Natural Lifeが上演された。
しかし劇場の建設に予算の2倍が費やされ、更に複合施設のホテル、バー、カフェの操業ライセンスの許可が得られないなどの問題が起こり、オーナーのフランシスは、1887年に破産状態になった。1888年にオーストラリア人で国際的な俳優であり、劇作家のアルフレッド・ダンピアが劇場を借り、斬新な出し物や、割安な入場料などを打ち出して、アレックは成功した。

1900年には、アメリカ人の移民James Cassius Williamsonがアレックを借り、売れっ子建築家ウィリアムピットに改築を依頼した。ピットは、ステージを60cm低くし、オーケストラピットを30cm高くしている。
この時に、ビクトリア女王にちなんで、劇場名を女王陛下の劇場と名付けられた。再開時には、ギルバートとサリバンのHMS Pinaforeが上演された。

公式Web

このページのトップ

inserted by FC2 system