シティ案内

今日の一枚へ戻る

セントキルダの海岸

レディセントキルダ Lady St Kilda

メルボルン百景トップ

2007年6月17日(日)
レディセントキルダ
Lady St Kilda
セントキルダビーチ
セントキルダ St Kilda
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

メルボルンは、いよいよ本格、真冬モードに入ってきました。最高気温でも13−4度、最低気温は、8度と、この冬一番の寒さとなりました。一日中、曇っていて夕方からは冷たい雨模様のメルボルンとなりました。

昨年の今日 2006年6月17日

左側は、セントキルダシーバス(1858年建築)

レディセントキルダ Lady St Kilda
セントキルダの名前は、英国のスクーナータイプの快速帆船から来ています。それまでの帆船は、マストが4−5本もあり、多量のセールを横に広げるタイプでした。しかし18世紀になりマスト数が2−3本で縦にセールを張るスクーナータイプが普及しました。少人数でセールの展開が出来ることと、そして最大の特徴は、そのスピードにありました。それまでは1年以上を費やしていた大陸間の移動が数ヶ月で可能になりました。大幅なコストの削減が可能になったのです。

 スクーナータイプの帆船では、アメリカズカップで有名な『America』があります。一方で横にセールを張るタイプで貨物の積載能力に優れるクリッパー船も同時期には性能を向上させています。1868年建造の中国のお茶を英国へ輸入するための英国のティークリッパー船、カティーサーク(Cutty Sark)が有名です。更にこの時期に特徴的な船型である蒸気機関により外輪を駆動するタイプの蒸気船も登場してきています。1847年米国建造のサスケハナ号は、ペリー提督率いるアメリカ海軍東インド艦隊の軍艦として1853年に浦賀に来航しています。尚、第一回のアメリカズカップは、メルボルンのゴールドラッシュの開始と同じ1851年に開始しています。近代オリンピックより45年も早く、この優勝カップは、世界の近代競技のカップで最も古いものです。当時の帆船開発競争が如何に激しかったかがわかります。

1800年代は、欧州からアメリカ大陸、中国アジアなどへの探検や物流が一気に盛んになった時代です。この大陸間移動への需要により快速船、大型船、動力船の新型化を進めたのです。そして1850年代以降は、最新鋭の鉄甲軍艦の建造競争の時代へ突入していきます。高速高性能軍艦の建造が世界戦争の幕開けとなったのです。
レディセントキルダ Lady St Kildaは、1834年に英国デボンシャーの貴族トーマスアクランド(Tomas Acland)卿によって購入されました。1841年に、レディセントキルダは、メルボルンを訪問しました。この訪問の際に、セントキルダの名前と、アクランド通りにその名を残しました。セントキルダのもともとの名前は、スコットランドのセントキルダ島から来ています。バラクラーバ参照。

おだやかなセントキルダのビーチ。

セントキルダトップ

セントキルダ歴史クラブ

英国領セントキルダ島(世界遺産)

このセントキルダ号の難破船(模型)は、モニュメントです。

アメリカズカップ公式Web

このページのトップへ

inserted by FC2 system