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メルボルン監獄中庭 Melbourne Gaol

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2008年7月30日(水)
中庭 (現RMIT)
メルボルン監獄 Old Melbourne Gaol
ラッセル通り Russel Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今日で連続3日目の良い天気に恵まれました。朝晩は、5度ほどと寒いのですが、日中は14度くらいまで気温があがっています。冬の安定期に入った模様です。週末も良い天気であれば良いのですが。

昨年の今日2007年7月30日(RMIT大学(追加画像)

正面は、1991年建築メルボルンセントラルビル(黒川紀章設計)。54階建て211mの高さです。

 メルボルン監獄は、ビクトリア(当時はNSW植民地ポートフィリップ地区)で最初に出来た刑務所です。
メルボルンに最初の行政官(裁判官、警察官)ウィリアムズロンズデールが赴任したのは、メルボルンが成立した翌年1836年です。ロンズデールは、メルボルンの東北の外れであるこの地に裁判所と刑務所を作りました。最初の拘置所は、簡単な木造でした。1838年には、タラマリン空港に名を残すアボリジニの英雄Tullamareenaら3名が拘置所の火災により逃げ出す事件も起きています。

クイーンズ公園参照
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  本格的な刑務所が出来たのは、1841年です。ラッセル通り側(5枚目の写真の奥)の壁が出来たのは1845年です。当時のラッセル通りのこの辺りは、メルボルンの市外にあたり、石畳の舗装もなく赤土がむき出しの場所でした。1851年に始まったゴールドラッシュにより世界中から荒くれ者や食い詰めた労働者が激増し、犯罪者の数も激増しました。それに伴いメルボルン監獄も大幅に拡張されました。1864年には、ブルーストーンを使った外壁や監視タワーが完成します。

メルボルン監獄2007

 メルボルン監獄は、英国イングランドのペントンビル刑務所(Pentonville Prison)をモデルに作られました。共に主要施設の設計は、英国監獄総監のJoshua Jebbです。
ペントンビル刑務所は、1842年に出来た最新設備を持つ刑務所で、アメリカフィラデルフィア刑務所(1829年建設)で開発された分離システム(Separate System)というコンセプトを持っています。これは、空港の駐機設備のように中央部からフィンガー(指)と呼ばれるいくつかの棟に分けて、各棟で異なるレベルの受刑者を留置するという当時としては画期的なシステムです。分離システムにより静寂を保ち、暴動を防ぎ、受刑者に懺悔を求めるという懲罰施設(penitentiary)としての性格を強く持つ刑務所です。特にアメリカでは現在でも更正施設よりは懲罰施設としての傾向を強く持っています。

1850年代には、女性を含み60名がこの場所で死刑を執行されています。一般の墓地では収容を断られたために、現在でもその多くはこの公園(RMIT大学公園)の場所に葬られています。調査では、14個の赤レンガが掘り出されており、名前と死刑執行年月日が記されていました。
メルボルンの都市化と共にこの場所は、市内に組み込まれたために、1929年に使用停止になりますが、それまでに136名が絞首刑により死刑を執行されています。その中には有名なネッドケリー(Ned Kelly 1880年11月11日死刑執行)も含まれています。

正面の赤レンガの建物は、アールデコの傑作建築、旧メルボルン市警察本部(1943年完成)です。


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