メルボルンを遠く離れても忘れられない人、
いつの日かメルボルンに帰りたい人に贈る。

  イタさんをフォローしましょう

ウイリアムズタウン 産業史 建築史1840以前 乗り物 船 南オーストラリア州 今日の一枚

2023年7月15日(日)  responsive版
ブロックアーケード
Block arcade
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

ブロックアーケードは、投資家ベンジャミン・フィンクBenjamin Finkにって開発された。コリンズ通り側の部分は1892年2月に完成した。伊国ミラノのビットリアアーケード(Milano Galleria Vittorio Arcade)を参考にしている。

撮影データ iPhone 14
絞りF1.5 1/100秒 ISO感度 64 
2024年1月21日13:21 板屋雅博 撮影



 この新しいショッピングアーケードは、Twentyman and Askew建設事務所の建築家デビッド・アスキューDavid.C.Askewが設計した。建設費用は46233ポンドの費用がかかっている。ブルーストーンの基材は、その場所にあった以前の建物Briscoe & Company Bulk Storeのものである。エリザベス通り側の土地96-102 Elizabeth Street(96-102 Elizabeth Street)は、1892年1月にCity Property Company Ltdが購入したものである。
デビッド・アスキューがコリンズ通り側と同じ建築様式でアーケードの設計継続を要請され、翌年1893年10月に完成した。ブロックアーケードブロックアーケードは、1階のアーケード、中二階(メザニン:mezzanine)の事務所、打ち合わせ階(social rooms and offices)などを持ち、コリンズ通り側、エリザベス通り側、ブロックプレイス通り側に入り口を持っている。

 上層階には4階の事務所階がある。アーケードは、L字型の形状をしており、 L字の角にはガラス張りの多角形(polygonal)をした天井がる。ねじれた(kink)形状は、当初の土地分割による土地の形状やブロックアーケードの場所などによる。通路にはヨーロッパから輸入された精巧な(elaborately)モザイクタイルが使用されている。建物が建設された際、建築とエンジニアリング誌(Building and Engineering Journal)は、豪州史上最大のモザイクタイルと評した。1907年、シンガーミシン社(Singer Sewing Machine Company)の景観アーティストのPhilip Goatcherは、同社が所有するアーケードのコリンズ通り側の天井を装飾した。コリンズ通り側に店舗を置くコダック社はメルボルン初の店舗の天井を金属の天井で覆った。


 コリンズ通り側とエリザベス通り側のファサードは、詳細なしっくい装飾を取り入れたビクトリア時代マンネリスト(Mannerist)様式で設計されている。
特徴的なファサードデザイン:
三角形及び部分的な切妻屋根
triangular and segmental pediments
古典主義と誇張されたコーニスと腕木
rustication and an exaggerated cornice with brackets.

中二階の事務所
エレベーター入り口の周りの木製建具、ロビー空間へのモザイク( tessellated)タイル、精巧なリードライト飾り窓(leadlight)。リードライト:鉛カムで支えられたガラスの小さなセクションで作られた装飾的な窓。「リードライト」は、ガラスが鉛で支えられている窓を表す。通路天井のアーチを装飾するしっくい技術。通路に設置されている伝統的な木製の電話ボックス(communal timber telephone box)。


  1837年6月1日にメルボルンCBDのブロック単位の土地売出オークションが開かれた。ブロックアーケードのコリンズ通り側の部分で、William Briscoe & Son会社が購入した。ブリスコー穀物商会(Briscoes Bulk Grain Store)がに1856年から83年までこの場所にあったが、同社は、1877年に大きな建物を建てた。1883年に建物は、1880年に数軒北側に設立されたジョージ兄弟商会社(George brothers)のジョージ&ジョージ百貨店(George & George Federal Emporium)に売却された。ジョージ&ジョージ百貨店は、衣服販売を拡張する為に内部を改修した。ジョージ&ジョージ百貨店は、その後、ジョージ百貨店となった。


  金融家、土地投資家のベンジャミン・フィンクはジョージ百貨店の取締役のひとりであった。フィンクは、1888年に百貨店を移転し、L字型のショッピングアーケードを釣ろうと計画し、土地を購入し始めた。1888年にフィンクは、コリンズ通り162番地のEquitable Co-operative店舗を購入し、ジョージ百貨店の支店とした。1889年9月13日午後6時15分に大きな火災が発生し、ジョージ百貨店は焼失し、40万豪ドルの被害が起こったが、フィンクはアーケードプランを進めた。ジョージ百貨店は移転した。




 1880年代のメルボルンは土地投機ブーム期であった。経済成長が続き多くの巨大なホテルや店舗、事務所地区が市内に建設された。火災の結果、City Property & Co Pty Ltdが、壮麗な(sumptuous)アーケードをメルボルン中央のこの場所に建設を進めた。同社の筆頭株主は、ベンジャミン・フィンクであった。1890年1月に建築家デビッド・アスキューの起用を発表した。ザブロック(The Block)の名前はすぐ後に公表された。
コリンズ通り側のアーケードが最初に建設され、アーケード全体のグランドオープニングは、1893年10月7日であった。

ブロックアーケードは、狭い路地がねじれた形でエリザベス通り側に接合していた。当初はカーペンターズレーン(Carpenters Lane)と呼ばれていた路地をシティ・プロパティ社は当局から許可を得て、ブロックアーケードから天井を作ってリトルコリンズ通りへアクセスさせることに成功した。

 屋根の設置によりカーペンターズレーンに店舗が入居し、名前をブロックプレイス(Block Place.)と変えた。1902年にそれまで行き止まりであったロイヤルアーケードが完成し、コリンズ通りからバーク通りまでのアーケード街が完成した。1870年に完成したイタリアミラノの同様のドーム状屋根を持つガラリア・ビットリオと比較されるが、規模はかなり異なる。

このページのトップへ


『メルボルン百景』サイト内検索

Google
WWW を検索 ”メルボルン百景”を検索

メルボルンから世界の歴史を探索し、メルボルンの街を通して、人生の一端が知れたら。。。
当ページ及び付属のページに記載されている内容や画像を無断で複製・転載・使用することを禁じます。
当サイトは、ホームページ、ブログなどにリンクフリーです。リンクされたら下記までご連絡ください。
Copyrights (C) 2005-2025 Melbourne Hyakkei All Rights Reserved.
個人情報管理方針
Please contact to oriental@skyblue.ocn.ne.jp
What's on in Melbourne  That's Melbourne F1トップ New Nordic 競馬 メルボルンカップ 歌曲  全豪オープン2020 eMelbourne Shane マリー オーストラリア VB メル百予定 市内編
    Japan In Melbourne  メル百基礎情報  メルボルン稲門会 Dengon Gumtree 収益不動産 都心物件散歩 帰国物件 帰国 テニス テンプレート 一般情報 フィリッピン i phone使い方
AFLトップ AFL  合意書 VHD 少女 コールの書店

inserted by FC2 system