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ウイリアムズタウン 産業史 建築史1840以前 乗り物 船 南オーストラリア州 今日の一枚


2025年2月2日(日)(responsive版)
旧カールトンブリューワリービール醸造所
Carlton Brewary
カールトン Carlton
メルボルン Melbourne
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1858年ノースメルボルンにローゼンバーグ会社(Rosenberg and Company)がカールトンのブーベリー通り24番にビール工場を設立し、ノースメルボルンビール(North Melbourne Brewery)と名付けた。この会社は、12か月後に倒産した。

撮影データ 撮影データ iPhone 14
絞りF2.4 1/657秒 ISO感度 32 
2025年1月11日17:08 板屋雅博 撮影



 1864年にJohn Bellmanがビール工場を再建し、立地場所の名前を取ってカールトンビールと名付けた。1866年にEdward Lathamと G.M. Milneが買収し、生産量を拡大し、工場用地も取得した。
1870年に大きな厩舎がバララット通り北側に作られ、ビクトリア通り側に大きなビール倉庫(cellars)が建設された。1872年に最初のビール工場と煙突が解体され、新しい醸造塔(brewing tower)が設置された。1881年にレーサムはMelbourne Brewing and Malting companyに会社を売却したが、レーサムは株式を引き続き保有し、1884年まで共同経営者として関わった。ブルーストーン石材製の倉庫が新たにブールベリー通り(Bouverie Street)側に1883年に建設され、スワンストン通りとフランクリン通りの交差点にワインと蒸留酒の販売店が作られた。

1888年にレーサムが資本を手放したことでウィリアムズタウンの西側ビール工場との合併が起こり、Carlton and West End Breweries Limitedが作られた。1890年代の大恐慌の不況時に同社は、倒産したが、1896年にCarlton Brewery Limitedとして再開した。カールトンビール社は、徐々に業績が回復し、業績不振に喘いで多くのメルボルンのビール会社に資本参加して、操業を継続させた。1897年頃にメルボルンのビール業界の第二の再編が進んだ。
業績回復と拡張は1901年に頂点に達し、1890年代の事務所に新しい建屋を追加した。この建物がカールトンビール工場のメインエントランスとなった。1901年に新しいボイラー建屋と煙突が建設された。カールトンビール工場は周辺土地の買収を進め、新しい本格的な建物Malt Houseがスワンストン通りに建設された。1905年にVictoria Breweryを買収した。カールトンの工場は、ビクトリアビール会社が使用した。

 1年後にCarlton and United Breweries Pty Ltd が設立された。 the Carlton and Victoria Breweries、マッキンノン(McCracken)、キャッスルメイン(Castlemaine)、シャムロック(Shamrock)、フォスターズ(Fosters) の各ビール会社であった。他のビール会社が所有していたビール工場は非常の用途として保持された。1925年にブールベリー通り側のコーナーにブルーストーン石材製の建物が完成した。1950年代に工場全体が実質的に革新的に改装され、生産工程も刷新された。カールトン工場での醸造は1997年に停止された。ブルーストーン石材製の建物を除いてブーベリー通りの建物とスワンストン通り側のモルトハウスは1990年代に解体された。


 ブーベリー通りのブルーストーン石材製の建物は、1864年から1927年に段階的に建設された。北側の建物群への車輌のアクセスの為に、大きな開口部を設けたり、窓に変更が加えられたりといった改装が行われている。赤レンガ製malthouse(麦芽製造工場)は、1904年にH.V. and A Championの設計で3階建て地下1階付きで建設された。モルトハウスの地下室は、発酵工場( fermenting cellars)に使われた。1階は砂糖、ホップの貯蔵室が置かれ21室の麦芽貯蔵タンクが2階と3階に設置された。
スワンストン通り側のアーチ形のファサードはセメントで化粧された。

 モルトハウスの内部に作られた21基の麦芽貯蔵タンクは、当時、ビール製造に技術的に革新が起こった時代であり、南半球で作られた最初の技術である。 1910年までは大きな拡張はなかったが、その年に樽(cask)洗浄エリアがBillingsとPeckが設計したスワンストン通り側の新しい建屋の内部に作れた。この部分がモルトハウスのアーケード式ファサードとなり現在、スワンストン通りに現存する場所となっている。
新建屋の主要設備として麦芽貯蔵タンクがあった。当時の革新的技術であり、南半球では唯一のタイプであった。Monier Concrete Co社が設置したが、ビクトリアの著名なボイラー会社などへの設計コンペを経て受注した

 。鋼鉄製.タンクより1基あたり100ポンドも安かった。南側に12器、北側に9器が設置された。タンクはブルーストーン石材製、セメント、コンクリートで建設された。垂直(perpendicular)方向に鉄製棒(steel rods)や円筒形(cylindrical)のロッドで覆うなどの最新技術が使用された。
底辺とドーム状上部には、同じ材質の材料が使われた。2フロア分の高さがあり、各タンクは、1450袋分又は6000ブッシェルの容量があった。モルトハウス全体では12万ブッシェル以上の保管容量があった。
モルトハウス
建物と機械類は、会社の醸造主任( head brewer)Lieut. Col. Ballengerが推薦した。設計は、建築家H.V & A. Championで建築はBaxterと Boyneが実施した。

 醸造タンクは、Monier Concrete Co. とRobert Bodington社が製造した。Bodington社は、著名なエンジニアリング会社で風車(millwrights)、麦芽発酵技術、エレベーター、コンベヤー、シャフトなどの設置に実績があった。当時のビール工場長は、T.L.Parkeであった。バララット通りから入ってくるローリートラックから麦芽タンクへ連続的な輸送が他の工程に支障が及ばぬようにうまく設計された。ワゴン車はメデリン通り(Madeline Street)から入ってバララット通りへ抜ける方式であった。Madeline Streetは、今日のスワンストン通りである。新建屋の中央部には麦芽を運ぶローリーが通る通路が設置されたいた。メデリン通り正面から麦芽を満載したワゴン車が入り、中には大きなゲートがあり、英国Avery社製の巨大な10トン秤(weighing machine)で計量された。醸造工場には大きなオッパーがあり、運転手と2名の作業員で麦芽はホッパーへ入れられた。

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