2014年8月10日(日)
サーチャールズ・ホッサムホテル
Sir Charles Hotham Hotel
スペンサー通り Spencer Streetと
フリンダース通り Flinders Streetの交差点
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map
メルボルンシティの南西角に歴史的なホテルがある。現在はバックパッカーホテルとして若者が数多く利用している。
撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/800 F6.3 ISO感度 100 太陽光 露出補正 JPG
レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月16日15:16 板屋雅博撮影
サーチャールズ・ホッサムホテル
Sir Charles Hotham Hotel Address : 574-580 Flinders Street
建設年:1912年
建築目的:ホテル、クラブ、パブ
現在の用途:ホテル
建築期:フェデレーション期エドワーディアン 建築様式:クイーンアン Queen Ann
設計:ウィリアムピット William Pitt
ウィリアムピットは、メルボルンの天才的な建築家として数多くの作品を残しているが、チャールズ・ホッサムホテルは晩年の作品。ウィリアムピットは1918年に他界している。
Walking Melbourne
William Pittの作品
プリンセス劇場
リアルトビルディング
セントキルダのタウンホール
ビクトリアブリュワリー
ゴードンハウス
ブライアント&メイ
ANZゴシックビル&Safe Deposit Building
サーチャールズ・ホッサムは、1806年英国に生まれ長年海軍で活躍し、1846年からはアフリカ沿岸での戦いで提督としてフランスなどと争った。ホッサムは、1854年6月22日にビクトリア植民地のメルボルンに到着し、チャールズ・ラトローブ総督に次ぐ、2代目の総督に就任した。ホッサムは危機的であった財政の立て直しに力をふるったが、バララットのユーレカの反乱では金鉱夫に厳しい処置を取った総督として悪名を残している。
ユーレカの反乱 Eureka Rebellion
ウィリアムピットが誰の依頼でサーホッサムホテルというホテルを建設することになったのかは知られていない。
現在はバックパッカーホテルとして多くの若者が利用している。
All Nations Hotel Backpackers
公式Web
2000年頃、サーチャールズ・ホッサムホテルの解体の話しが持ち上がった。メルボルン市当局の州遺産管理委員会でサーチャールズ・ホッサムホテルの資料が少なく歴史的な意義が低いと見なされたことと、同時期にフリンダース通りの対面にノースバンクプレイスの計画が進行しており、こちら側も再開発の話しが持ち上がった為だ。
メルボルンは数多くの歴史的な建物を保存しているが、シティの近代化も同時に進める必要がある。イースタン市場やロンズデールハウスなど多くの建物が解体されてきた。州遺産委員会によるとサーチャールズ・ホッサムホテルはCグレードとランクされた。
その後、多くの市民の運動もあり、2013年6月12日のナショナルトラストの記事によるとアーガスビル、セービングバンク、サーチャールズ・ホッサムホテルが州遺産として認められ、解体を免れたとある。右側の近代的な建物はノースバンクプレイス。
ナショナルトラストの記事
アーガスビル メルボルン百景
State Savings Bank (4枚目)
ノースバンクプレイス
1920年代のサーチャールズ・ホッサムホテル
Walking Melbourne
1920年代のサーチャールズ・ホッサムホテル
Walking Melbourne
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